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イスラエルの風
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B.F.P. Japan 理事長 スティーブンス・栄子 2004年3月

 1983年、夫婦そろって献身した日から今日まで、「主の御心のままに歩もう。」と、二人で心を一つにして主と共に歩んできました。家を売り、娘を連れて神学校に入り、環境の違いに少しカルチャー・ショックを感じながらも、主はすべての必要を備えてくださり、健康と主に仕える喜びが絶えず私たちを包んでいました。

 献身に至る前から、ユダヤ人に召されたことを強く感じていた夫・ビル。そして、私自身は日本人に召されるという不思議な状況の下でしたが、主が御心を明らかにしてくださるのを待ち望みました。そんな中、神学校が終わる約半年前、みことばを通して神は、「エルサレムに行け」と示されました。

イスラエルでの第一歩
 こうして90年1月10日、私たち夫婦はイスラエルに到着しました。最初の夜、神学校の教授の友人が、エルサレムの地図と花束を抱えて、私たちのホテルを訪ねてきました。シャロン・オーリさんという、アメリカの教会から送られている宣教師でした。そして彼女は、自分が始めようとしている計画について話し始めました。「貧しいユダヤ人に食料を配給するために、フードバンクを設立しようと思います。このビジョンを実現するために、私は今、『ブリッジス・フォー・ピース(BFP)』という団体に勤めています。」

 「ブリッジス・フォー・ピース?」 私たちには初めて耳にする名前でした。

 イスラエルに来る1カ月前、アメリカで「ハイナイト祈り会」に誘われました。それがBFPの祈り会だと知ったのは、4カ月後のことでした。

 1週間後、すべてが備えられているアパートを見つけました。アパートの住人と一日も早く親しくなりたいと期待に胸膨らます私は、最初に仲良しになったイスラエル人に「私たちはクリスチャンです。イスラエルのために何でもさせていただきたいと思ってアメリカから来ました。」と言ったのです。その後、その人が私の前に現れることはありませんでした。「クリスチャン」という名が、ユダヤ人にとって“ヒトラー”や“ナチス”と同じに響くことを知ったのはその後のことでした。

BFPでの働き
 主人は、ヘブライ語の学校で学びながら、始まったばかりのフードバンクにボランティアとして通い始めました。当初、食物を捧げる先が少なく、食物配布は困難を極めました。クリスチャンから物をもらうことを嫌悪するため、受け取ってくださる方々はわずかでした。

 しかし、それから間もなくソビエト連邦の鉄のカーテンが開き、移民がイスラエルになだれ込むようになりました。彼らを助けることにより、BFPも徐々に認知されるようになり、ユダヤ人を助ける働きは拡大していきました。クリスチャンを忌み嫌って食物を受けることを拒んでいた方々も、徐々に心を開き始めました。

 主人は、毎日、重い食物をトラックから降ろして小袋に詰め、それを配達するという奉仕を続けました。神の御国のために、熱く主に仕えようと立ち上がった献身者にとって、あまりにも地味な、また肉体的にも非常に過酷な働きでした。痛む腰を抱えながら「これが本当に私の召しだろうか」と疑問に思えることもたびたびありました。しかし、「主よ、御心のままに……」と祈りながら忍耐をもって取り組みました。

 
 
 
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