B.F.P. Japan局長 高田 篤美
『日本人に贈る聖書ものがたり―族長たちの巻―』を読んで
「中川健一師が聖書小説を執筆中!」というニュースが流れて以来、期待に胸躍らせてその発行を待ち望んでいた。いよいよそれが現実のものとなり、ページをめくるのももどかしくこの本に没頭していった私の隣に、気がつけば生身のアブラハムが立っていた。そして、「サラにも困ったもんだよ……」と、顔をしかめ、話し掛けくるではないか。
クリスチャンにとって、聖書は人生の土台を成すものである。しかし同時に、どこか神話に近い、現実味のない遠い世界の出来事として捉えている部分はないだろうか。聖書には、よく分からない箇所が多いが、“イエス・キリストを信じる”というその信仰だけですべてを捉えていこう、そう言い聞かせて読んではいないだろうか。聖書の出来事や人物があまりにも現代生活、いや自分自身からかけ離れているため、リアリティーのあるものとして迫ってこない。まるで顔を上に向けられて背伸びをし、上の方で起こっていることをやっと覗き見しているような感覚をもつことはないだろうか。
今回私は、中川師の著書を読みながら、聖書が自分の目線に降りてくることを感じた。そして、毎日仕事へ出かけ、食事をし、携帯電話で話をする……といった、現実の自分が体験しているのと同じ感覚で、旧約聖書の中を生きる体験をした。私自身が旧約聖書の登場人物の一人となって、アブラハムやイサク、そしてヤコブに出会った。本を読み終わるときには、彼らはもう想像上の人物ではなく、この肉をもって触ることができるほどに近い人々となっていた。
当初、「未信者の向けの小説となる」と聞いていた。確かに、その目的は120%達成されている。難解な部分には、分かりやすい例話や解説をふんだんに加えることで、疑問という絡み合った糸を、ていねいにほどく手法が取られている。そして、「なるほど、そういうことだったのか……」と、無理なく理解が進んでいく。それはまるで、誰でも登れるように、階段の段差をなくし、スロープにしたようなスムーズさである。私たちクリスチャンにとっても、多くの箇所で今までしこりとなっていたものが流れていく。スロープどころか、自動遊歩道に立って進んでいくような心地良さである。
「聖書に書かれていることは、すべて現実に起こったことである」というシンプルな真理を受け入れることができないために、何と多くの人々が救いを受けられずにいることか。いや、クリスチャンになった後でも、それを深い部分で受肉していないために、簡単にバックスライドしてしまう現実を、いくつも目撃してきた。
神はあまりに大きすぎるお方で、私たちの知識や知恵では、とうていすべてを知ることができない。その神を丸ごとただ単純に信じる信仰こそ、私たちの土台である。が、同時に、知識や理解を深めることは、その信仰を深めていく上で、必要不可欠であることもまた事実である。そうした意味でも、この本の役割は非常に大きい。
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