ここに来てやっと、私は聖書にある雨の意味を理解できるようになりました。
私たちは、雨空を苦難や試練にばかり例えがちですが、ここイスラエルでは雨は文字どおりに神の祝福です。雨は生命に欠かせない水の源だということ、それなしには生きていけないものであるということに、私たちはどれほど気付いているでしょう。
「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。」(申命11:14)。雨を待ち望むイスラエルにとって、ただの曇り空は「贈りもしない贈り物を自慢する者」(箴言25・14)のようです。雨を降らせるか降らせないかは、神の御心次第ですから、雨は本当に神の恵みと主権を現しています。でも、同じ大雨でも「わたしは怒って(中略)大雨を降り注がせ……。」(エゼ13・13)とあるように、すべてを押し流してしまうその力は、神の怒りをも表します。
夏の間に乾ききってしまうイスラエルの大地はコンクリートのようで、水を即座には吸収できません。雨水は地表を突っ走って濁流となり、洪水や土砂崩れを引き起こします。ですからイスラエルの雨が、むやみに大雨続きではないことに、神の御手を感じます。雨季の初めに激しい雨が大地を耕し、後に続く雨は降ってはやみ、数日してまた少し降る……の繰り返しで、春が来る前にまた何度か大雨が降って終わります。「神は、雨のためにその降り方を決め……。」(ヨブ28:26)とあるように、神は最善の手加減をご存じです。
神は今、大地への雨とともに、ご自身の民の心にも聖霊の雨を豊かに注ごうとしておられます。そして彼らがそれを吸収できるようにと、彼らの心を耕してくださっているのは、ほかでもない、愛をもって祈り、また捧げてくださっている皆さまなのです。 |