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イエスが、塩気を失った塩は外に捨てられる、と言われたのはどういう意味でしょうか。
塩が塩気を失うことはないのです。しかしこの時代においては塩の精製法はまだ発達しておらず、塩として用いられていたものは、実際には塩と砂の混合物でした。もし塩よりも砂のほうが多く混じっているなら、それには塩気が余りなく、役に立ちませんでした。
イエスの時代、塩の精製方はまだ発達していなかった
マタイの福音書5章から7章にかけて、主が塩に関して言及されたことと、それ以前に語られた、迫害を受けたなら祝福と見なすようにとの教えの間に関連があるのではないでしょうか。この世が彼らを迫害しても、この世の塩である彼らは、神の御前に非常に貴重な存在なのです。しかし、もし彼らがこの世と関わりをもつ余り、自分たちの特徴を失ってしまうなら、彼らはこの世に対する証しを失ってしまう、と言われたのです。
あるとき、イスラエル最南端のエイラットからエルサレムに帰る途中、死海近くを通り、運転手が死海と反対側の道路に車を停めました。彼は私たちを徒歩で「小高い」丘のほうへ導きました。驚いたことにその小高い丘は、土ではなく塩でできた丘でした。
狭い入り口を通り抜け、四方に高い壁が垂直にそびえ立つ空洞に入りました。「天井」は空に向かって開いていました。外側からは見えませんでしたが、空洞の中は、白く結晶化した塩のギザギザの壁に反射した光で、自然にできた大寺院のようでした。その光景は、この世の影響によって私たちが本来もつべき美しさや影響力が隠されてしまい得ることを鮮やかに象徴しているようでした。
ユダヤ人の使命は真の神を全世界の人々に証しすること
パウロは、異邦人クリスチャンは、「オリーブの根の豊かな養分をともに」受けるために接木されたと言っています(ローマ11・17)。私たちは、神の契約の民の一部分に組み入れられているのです。ですから、紀元一世紀のユダヤ人に語られたメッセージは、今日のクリスチャン、そして教会に与えられたメッセージと同じです。私たちは「この世と調子を合わせてはいけ」ないのです(ローマ12・2)。
そうでなければ、私たちはその影響力を失ってしまいます。この学びを、マルコの福音書9章49節から50節のみことばで閉じたいと思います。
「すべては、火によって、塩けをつけられるのです。塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」
この箇所の直前に、イエスは地獄について、また「消えることのない火」について語っておられます。 |
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