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「決して腐敗しない」性質をもつ塩は、神とその民との間にある契約の象徴
この箇所はさらに「永遠」と いう言葉が強調されており、塩 の契約は今日においても有効であることを意味しています。私 たちは、イエスが来られたとき にすべてのものが変化してしまい、律法に記されているすべて のことが過ぎ去ってしまったと 理解しがちです。しかし、そうではありません。「永遠」は永遠です。「永遠の契約」は、神ご自身がその「契約」を必ず守るという忠実さを表現した言葉です。
次に「塩の契約」という表現が用いられているのは、歴代誌第二13章5節です。ソロモンの時代の後、イスラエルは二つの王国に分裂しました。ユダの王アビヤが北王国の王ヤロブアムに対して反旗を翻しました。アビヤは戦いを始める前に、ヤロブアムに向かって大胆な発言をしました。
「イスラエルの神、主が、イスラエルの王国をとこしえにダビデに与えられたこと、すなわち、塩の契約をもって、彼とその子らとに与えられたことは、あなたがたが知らないはずはあるまい。」
聖書には、神がダビデと契約を結んだとき、塩を用いられたという明白な記述はありません。しかしアビヤは、自分たちが神殿での礼拝に関する神の命令をすべて守っているのに対し、ヤロブアムは偶像礼拝にふけっていることを指摘したのです。アビヤはどう礼拝するべきかを知っており(13・10-11)、それには「塩の契約」と呼ばれた、供え物に塩を加えることも含まれていました。神はそのような契約をダビデに永遠の王国を約束されたときに結ばれたのです(Uサムエル7・16この箇所は、『ダビデ契約』と呼ばれ、イエスにより一部成就しているが、再臨によって完全成就される非常に重要な契約の一つ)。
アビヤにとって「塩の契約」は、永遠に存続する契約を象徴していました。
新約聖書に引用されている「塩」
私は多くの聖書学者が、「聖書の一つの箇所を理解する最善の方法は、聖書自身に注解させることである」と言うのを聞いてきました。旧約聖書は新約聖書の最高の注解書です。新約聖書には塩に関する引用が6箇所しかありません。
マタイの福音書5章13節でイエスは言われました。「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」
通常、この箇所の教訓は、クリスチャンはこの腐敗した世の中で影響を及ぼすことを心掛けるべきだということでしょう。ここではそれを少し拡大してみましょう。
まず、イエスはユダヤ人に向かって話をしておられるという点に注目しましょう。彼らは主が「塩」と言われたとき、おそらく「契約の塩」を思い出したことでしょう。契約の民として彼らに与えられていた使命は、唯一の真の神を全世界の人々に証しすることでした。そうするためには、彼らはトーラーに定められた生き方を守らなければなりませんでした。神の命令は、レビ記、民数記、申命記に記されています。そのような生き方こそが、全世界の人々と彼らを分かつものです。今日の正統派のユダヤ人は、まさにそのような生活様式をとっています。
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