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時間を要する果実の成熟
すべて果実が結実するためには、時間が必要です。ある種の果物は、結実するまでに10年もかかります。ある木は2年、3年、あるいは4年で実を結ぶようになります。どんな種類の木も全く同じではありません。しかし、どの木もやがて結実することが期待されています。「さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。」(マタイ21・34)
信仰者である私たちは、時に自分たち、あるいは他の人々の生涯において、御霊の実が実っていることを早く知りたいと願うものです。しかし、成長の過程には時間が必要であることを知らなければなりません。木が成長し、実を実らせることができる状態にまで達しているとしても、ある朝起きてみると、そこに実がなっていたなどということはないのです。まず実は小さな芽から始まります。それは木の一部分として、ほとんど見分けられないほど小さなものです。それから芽が開き、もろくて美しい芳香を放つ花となるのです。その後、固い未成熟な実へと変わっていき、ついには十分に成熟した実へと成長していくのです。
若い頃、私は他の人々に批判的な態度を取るという問題をもっていました。しばしば、相手に実際以上の成長を期待していました。20年前、両親の家の裏側にあるベランダに座っているとき、主が、私に庭に下りていって、リンゴの木からリンゴをもいで食べるように促しておられるのを感じました。私は、「しかし主よ、あのリンゴはまだ食べられないほど未熟です。きっと苦いでしょう。おいしくないと思います」その時期のリンゴは、ちょうど栗の実ほどの大きさでした。
しかし主が、私の心に次のように語っておられるように感じました。「あなたにも分かるように、そのリンゴは私の計画に従って完全に成長し続けている。そのリンゴの実は、成長の過程において、完全である。なぜあなたはその実がおいしくないと言うのか!?」。
そのとき、私の他者に対する態度について、主が語っておられることに気付きました。私たちは誰も、他の人々の完全な成熟時期を知りません。一人の人が神の御心に沿って成熟しているのかどうかは、神にしか分からないことです。リンゴの木になっているそれらの固い実は、時が来れば成熟し、果汁のたくさん入ったおいしいリンゴになるのです。神の時になれば、私たちの生涯における実も成熟するのです。
ある朝の祈りの時間に、BFP国際企画部の責任者バリー・メヴォラック師が私たちに語ってくれました。「成熟の過程には時間が必要とされます。御霊の実は購入できる産物でも、安っぽい贈り物でもないのです。
私たちはある朝起きてみると、柔和や自制の実を実らせていた、ということにはならないのです。それらの実はゆっくりと、生涯をかけて実っていくものなのです。御霊のどのような実も、イエスが盛んになり、自分は衰える(ヨハネ3・30)につれて、私たちのうちに成長していくものなのです。
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