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Key For The Bible
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 夫と私が、イスラエルへの召命を頂いたとき、まさにそれをしなければなりませんでした。私たちは所有物も家族も友人も後に残し、主に従いました。それは必ずしも簡単なことではありませんでしたが、主はその決断を祝福してくださいました。神が何をお望みになっても、私たちは自分の枝(生涯)を、農夫であられるお方の剪定に委ねなければなりません。そうすれば私たちは、常に収穫を期待することができます。

 昔、クリスチャンの間で人気のあった、出エジプト記4章の賛美を思い出します。神はモーセに、「あなたの手には何があるのか、モーセよ。」と仰せになりました。

 「杖があります。」と彼は答えます。

 神は「それを地に投げなさい。」と仰せになります。モーセがその杖を地に投げると、それが蛇になり、神の奇跡を行われる御力が現わされました。

 神に要求されるものを地に投げることによって、何という素晴らしい実が結ばれることでしょうか。豊かな収穫を期待しましょう。

どうすれば主にとどまれるのか
 私たちはまず、神との関係をまず優先させなければなりません。それを実行するためには、神のために「何かをする」よりも、神と「共にいる」ことに強調点を置くことが大切です。言い換えると、神の国のために働くより、むしろ神と共にいることに時間を使う必要があります。イエスに密接につながっているなら、私たちの生涯のうちに、超自然的な方法で働かれる神の御手を見ることができるでしょう。

 ヨハネの福音書15章の主な焦点は、主にとどまることです。「とどまりなさい」と言われているのはご命令であって、選択の問題ではありません。あなたは自分の生涯と奉仕に神の圧倒的な御業を期待されるでしょうか。それはあなたが主にとどまることによって起こるのです。

 あなたがどれだけ信仰について、あるいは聖書について知識をもっているかに左右されるものではありません。神を個人的にどれだけ知っているかにかかっているのです。ダビデが神に対して抱いていた熱情を、あなたももっておられますか。

神の国のために働くよりむしろ、神と共にいることに時間を使う

 「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」(詩63・1)

 ブドウの木に生命を与えている樹液は、目には見えません。それは内側で起こっていることなのです。悲しいことに、何年も何年も聖書を読み続けながら、主の内にとどまっていないということもあり得ます。毎週礼拝に出席し、日曜学校で教える……、このようなことは確かに良いことではありますが、主にとどまることとは違います。

 「神のために働く」ことのほうが、「神と共にとどまる」ことを学び取ることよりもた易いのです。なぜなら、神と共にいるためには、簡単には捨てられない、貴重な時間という必需品を主にお委ねする必要があるからです。
 
 
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