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ヨセフの場合
ヨセフと兄弟たちの劇的な再会シーンを描いた古い絵
創世記に、ヨセフと彼の兄弟たちの記事があります。兄弟たちは彼をねたむ余り、殺そうとしました。幸いヨセフは殺されはしませんでしたが、エジプトに売られてしまいました。そのことを知らない兄弟たちは、カナンに大飢饉がやってきたとき、次のように思いました。
「彼らは互いに言った。『ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。』」(創世42:21)
バル・カムツァの物語のように、不親切な行動や言葉が、問題や困難を引き起こすことがあります。不寛容な行動は相手を傷つけ、痛みをもたらします。
エジプトの大臣となったヨセフは、穀物を買いにエジプトに下ってきた兄たちに、自分の正体を明かす時期を、周到に選びました。盗みの疑いをかけられて逮捕されようとするベニヤミンに代わって、ユダが身代わりになることを申し出ました。ベニヤミンが戻らなければ、彼を特別に愛する父親(ヤコブ)にどれだけ心痛を与えるか、想像するに余りあるものがあったからです。ユダの行動は、ヨセフの心を感動させました。ベニヤミンが収監されようとしたまさにその時、ヨセフは兄弟たちの前で、自分の正体を明らかにしました。ユダの優しさが、ヨセフのあわれみの心に火をつけたのです。
絶対的な権力者であるエジプトの大臣が「私はあなたがたの弟、ヨセフです」と言った瞬間のことを想像してみてください。そこにいたすべての者が、神を礼拝しました。兄弟たちの最初の反応は驚愕であったでしょうが、それにも増して、次に、大きな喜びが彼らを包んだことでしょう。彼らが感じた安堵感は非常に大きかったと、私は思うのです。
いつくしみ深い神のご本質
神の御座は、恵みという土台の元に堅固に据えられています。神の権威は、あのヒトラーのような、圧制的で独裁的なものではありません。高圧的で残虐な支配は、神からのものではありません。神の権威はむしろ、いつくしみ深さの上にあると、イザヤも語っています。「一つの王座が恵みによって堅く立てられ……。」(イザヤ16:5)
神のご本質は愛です。神の王国は、愛によって機能しています。神の臨在は、いつくしみとあわれみの中に確立するのです。「あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられる。」(ネヘミヤ9:17)。神のいつくしみは永遠です。たとえ、愛する者に背かれても、裏切られても、それは途切れることがありません。 |
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