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 移住者は、新しい環境に順応していく上で、多くの困難を経験しました。産声を上げたばかりの祖国は、独立戦争の傷からやっと立ち直ったばかりで、逼迫した経済状況下にあり、押し寄せる移民に、住居や仕事を提供するのは至難の業でした。多くの労苦と努力が積み重ねられました。まず『マアバロット』(ブリキ製の小屋やテントからなる野営地)が建てられ、その後、適当な住居が建設されました。徐々に雇用が増え、ヘブライ語を修得するためのプログラムも設けられました。教育制度が整備され、多くの異なった文化圏からやってきた子供たちの異なる必要に応じるため、改良がなされていきました。

 1950年代後半から1960年代前半には、大規模な帰還が達成されました。独立を果たした北アフリカ諸国、モロッコ、チュニジアなどの国々から、ユダヤ人が帰還してきました。ポーランド、ハンガリー、エジプトなどからも、多くの移民がイスラエルに到着しました。

1951年にイラクから帰還してきた人々。仮住居の外で祈りを捧げている様子

旧共産圏(ソビエト・東ヨーロッパ)からの帰還
 1948年から1967年までの間、ソビエト連邦に居住するユダヤ人とイスラエルとの関係は、あまり親密なものではありませんでした。しかし、六日戦争(1967年)の後、ソビエト連邦内のユダヤ人の間に、ユダヤ人としての意識が高まり、次第に多くの人々がアリヤーを希求するようになりました。1970年代初頭、国際関係の緊張緩和が進むにつれ、ソビエト連邦は、相当数のユダヤ人の移民を認可しました。70年代の終わりまでには、250万人のユダヤ人がソビエト連邦を引き上げ、そのうち14万人がイスラエルに帰還してきました。

ソビエト連邦旗

 1980年代末期には、ゴルバチョフ大統領の国内自由化(ペレストロイカ)政策の結果、ソビエト連邦から、前例のないユダヤ人の大量出国が許可されました。1991年後半にソビエト連邦が崩壊すると、その傾向がますます強まりました。しかし、1990年の19万人、1991年の15万人をピークに、旧ソビエト連邦の情勢が安定してきたこと、イスラエル社会に順応する難しさが認識されたことで、移民の波は、毎年平均7万人に落ち着きました。1989年から1996年まで、旧ソビエト連邦から約70万人のユダヤ人がイスラエルに帰還しました。総計すると、1989年から2005年7月までに、101万3956人がイスラエルに帰還したわけです。
 
 
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