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イエメンから帰ってきたユダヤ人女性

■近代アリヤーの歴史
 近代のアリヤーはイスラエル建国前から行われていました。現代まで続くその道のりを振り返ってみましょう。

第1次アリヤー (1880年代―1904年)
 東ヨーロッパとイエメンから2万5千人のユダヤ人が帰還してきました。ロシア・東ヨーロッパでポグロム(帝政ロシア期の、組織的なユダヤ人迫害・虐殺)が発生し、反ユダヤ主義がひどくなる中、社会で生きていけないユダヤ人たちがこの波に乗りました。一方、イエメンのユダヤ人は、「メシアがすぐにでも到来される」という信仰に立って帰還してきました。

「アリヤー」とは、ヘブライ語で字義的には「上る」を意味し、イスラエルへ帰還することを指す。「上る」という言葉には、霊的・物理的両方の意味があり、ユダヤ教の信仰にとっての大切な一要素である

第2次アリヤー(1904年―1914年)
 4万人の人々が帰還しました。その大部分はロシアからの移民です。1903年に起こった大変厳しいポグロムが、当時ロシアに住んでいたユダヤ人たちを刺激し、彼らの思いをいにしえの故郷へと向けさせたのでした。

ポーランドからの移民(1920年)

第3次アリヤー(1919年―1923年)
 第一次世界大戦が終わり、バルフォア宣言(イギリスがパレスチナにユダヤ人の故郷建設を認めた)が1917年に出されて以来、3万5千人のユダヤ人がシオンに帰還しました。

第4次アリヤー(1924年―1932年)
 イギリス政府が、イスラエルの社会に貢献できる人々に対して移民許可を出して以来、貿易商、技術者、学者など、資産や知識をもっていた6万5千人が戻ってきました。

第5次アリヤー(1933年―1939年)
 ナチスの手をのがれ、25万人のユダヤ人がイスラエルに逃れてきました。民族存亡の危機に直面していたからです。

青少年移民

青年のアリヤー
 この、“青年のためのアリヤー”は、最初、ナチス・ドイツからユダヤ人の若者を救出するために組織されました。第二次世界大戦より前に、5千人の青年が帰還し、彼ら専用に設けられた学校で教育を受けました。戦後、1万5千人の若者(その大部分がホロコーストを生き延びた)が加わりました。今日でも、この移民青年の収容施設は、新しく帰還してくる若者を受け入れるだけでなく、貧困家庭に育った何千という若者たちに対して、イスラエルに根を下ろし、成功するための機会を提供しています。

 
 
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