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 賢人ソロモンは次のように述べました。「命令はともしびであり、おしえ(トーラー)は光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。」(箴言6:23)

 また事実、受肉され人となって来られたトーラーであられるお方が言われました。

 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。……もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ14:15、15:10)

 もし、イエスが御父のご指示に従順に従うことで、神への完全な服従を表されたのであれば、キリストの弟子たちはなおさらのこと、イエスのご命令に従って、イエスの主権に服するべきではないでしょうか。

◆真の礼拝
「わが子よ。……注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。」(伝道者12:12)

 学ぶことは、実際、激しい労働であり、生徒あるいは弟子が受けるべき訓練です。しかしながら、そこから得られる利益は、それを獲得するための負債よりもはるかに大きいのです。
 
ユダヤ人は長い間、学ぶことが“礼拝の最も高尚な形”であると信じてきました。なぜでしょう。礼拝を表す言葉は、ヘブライ語の「セガード」、ギリシャ語の「プロスクネオー」です。両者とも「神のご臨在の前にひれ伏す」という意味です。神の前にひれ伏す究極的な姿、つまり神のご意思への服従は、神が語られたことを行う意志をもって聖書を学ぶことに表現されるのです。神のみことばを学ぶこと、特にトーラーを学ぶことは、礼拝の一つの形、あるいは神への服従の形なのです。

 アブラハム・ヨシュア・ヘスケルは、ユダヤ人の聖書学習への姿勢について、「ギリシャ人は理解するために学ぶが、ユダヤ人は崇敬するために学ぶ」と表現しました。神のみことばと御旨は、口では言い表せないほど深遠で、それを実行する中で理解することができます。自分の生活様式を神のみことばに合わせるために、聖書を学ぶことは、英語の「ワーシップ」(礼拝する)という言葉がもつ、最も真の意味に合致します。「……に意義をもたせる」ということだからです。神のみことばに完全に服従し、神が語られたことに完全な献身と熱情を込めて学ぶとき、私たちは「神に意義をもたせる」、つまり、神を礼拝するのです。

 
 
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