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ヘブライ語でも最も背が高い文字が“ラメッド”です。先月は、「学び」をテーマに、この文字がもつ隠されたさまざまな意味を理解しました。今月は、「弟子訓練」を、ユダヤ的背景からさらに深く掘り下げ、学んでまいりましょう。
◆従順を学ぶ
キリストの時代、弟子(生徒)は、知識や理解について、教師との実際的なやり取りの中で学びました。そして、その人間関係がもたらす知恵を得ることこそが、弟子訓練の核心でした。学習の過程は、人間関係、あるいは師弟関係の中で体得されるのです。
1世紀のイスラエルにおいて、最も名誉なことは、「ラビのもたらす砂ぼこりにまみれる」ことでした。どういう意味でしょうか。生徒は、教師について歩くことによって、長期間一緒に時間を過ごし、教師の行動をまねすることによって学習しました。それは、従う訓練であり、模範を見て学ぶ訓練でした。
→1世紀のイスラエルにおいて名誉あることは“ラビのほこりにまみれる”(ラビと共に過ごし、その教えを受ける)ことであった
この例を、モーセとヨシュア、エリヤとエリシャ、パウロとテモテの間に見ることができます。ヨシュアは、イスラエルの指導者に任命されるまで、モーセの個人的な従者として何十年も仕えました。預言者エリヤは、生涯の最後に、エリシャを自分の弟子として訓練し、奉仕のために「二人分の分け前」を神に願うことを伝授しました。パウロはテモテに神のことばを注意深く教え込み、テモテがパウロのビジョンや熱情、献身的な態度を自分の奉仕の中に反映させることができるようにしました。これらの弟子たちは、その教師に注意深く従うことによって、自分の生涯と奉仕に関する教訓を会得したのです。
同じようにイエスの弟子たちも、砂ぼこりの立つ乾燥したイスラエルの道を歩きながら、教師であるイエスについて行き、「イエスの教え」というほこりをかぶりました。人々は、弟子たちがイエスと一緒にいたことを理解しました。弟子たちの行動に、主のお姿が表されていたからです。(使徒4:13)
従うとは、行動だけではありません。ギリシャ語で「従者」を指す「ミメーテース」という言葉には、「まねをする」という意味があります。これが、クリスチャンの生涯の神髄です。「キリストのようになる」とは、イエスの生涯をまねし、その戒めを守ることを指します。主は、弟子たちに、主の行動をまねし続ける生涯に入るように促されたのです。「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」(Iコリント11:1)。彼らの行動が、教師であるお方の生涯に非常に似ていたので、彼らは「クリスチャン(キリストの直属のしもべ)」と呼ばれるようになりました。これこそ、聖書的な生活様式の模範です。
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