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イエスは、クリスチャンの弟子訓練には高い水準が求められ、熱心さを伴わなければならないことを強調されました。
「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。……あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14・27、14・33)
神の訓練の中で、弟子たちは、痛みの伴う自己否定の過程を経ることを要求されることもあるでしょう。しかし、神が振るわれる突き棒に従い、応える者には、神の同労者としての恩恵が与えられ、大いなる祝福が与えられます。
これこそ、クリスチャンに対して与えられている『大宣教命令』の核心です。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。……わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28・19―20)
クリスチャンの弟子訓練の基礎は、学ぶことと教えることであり、学ぶことと教えることの基礎はイエスのご命令です。イエスに信頼し、神の教えに従う訓練を受け、弟子となることができるようになるためです。
クリスチャンの弟子訓練とは、救い主(キリスト)の教えの中に訓練を見いだし、その指示に応じて、励んで学ぶことです。自分自身を、訓練のための突き棒に委ね、自分の心をラメッド(突き棒)のとがった部分によって刺されることを甘んじて受け、自分の行動を正しく適切な方向へと整理し、神がお定めになった目的へと進んでいくようにすることなのです。
「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11・29)。イエスとくびきでつながっているとは、イエスの教えを学ぶことを意味しています。それは結論的には「負いやすい」くびきです。イエスの用いられるラメッド(突き棒)は、不必要な過度の痛みを負わせるものではありません。私たちが、神とのさらに緊密な交わりを持ち、他の人々とも交わりを保つために、正しい方向へと向かわせるのに必要な刺激を与えてくれるものです。
(次号へ続く)
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