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BFP編集部
◆イエスはご自分がメシアであることを主張されましたか?
もしあなたが「しました」と回答するなら、それは正解です。では、この主張が記されている章や節を指摘することができますか? 恐らくできないでしょう。
わたしはメシアである」と、文字どおりには一度もおっしゃいませんでしたから、その箇所を探しても見つけることができないのです。しかし福音書は、イエスの言動そのものを通して、彼がメシアであるというメッセージを伝えています。
イエスが直接的な言い方をされなかったために、彼のメシア性についてさまざまな意見があり、議論さえ引き起こしています。
【1】まず、「イエスは義人であり教師であったが、ご自分をメシア(キリスト)とは決して考えなかった」とする学派があります。この論理は、イエスを神であると仕立てた「人為的なキリスト論」により、メシアというラベルが張られたが、主ご自身は自分をメシアであるとは表明されなかった、と言います。たとえ福音書に明瞭な記述があったとしても、このグループはイエスをメシアと見なさず、「その箇所は後から福音書に追加されたのだ」と主張することでしょう。
【2】他の学説は、「イエスはご自分がメシアであることを理解し、受け入れておられるが、メシアとしての自意識は、だいぶ後になってから存在するようになった」と主張しています。ともあれ、このグループも、イエスはご自分を神の現れとは決して見なさなかった、と結論付けています。
【3】最後に、「イエスは初めからご自分のメシア性を十分認識しておられた」と信じるグループがいます。私自身もその一人です。彼は単なる人間的、政治的なメシアではなく、人間という形をとって神を顕示された、御父から出た方です。彼は“三神の中の第二神”ではなく、“父なる神、聖霊なる神と一つ”であり“同一、唯一の神の、人間としての現れ”です。これはキリスト教神学の基本概念ではありますが、一部のクリスチャンや、ユダヤ教のラビにとっては、のみ込み難い概念であることを、私は知っています。
この際、誰が正しいかを論じるのが真に大切なことではありません。大切なのは、何が正しいかを知ることです。この問題を解決するには、実例に満ちている福音書の記事を調べるだけで十分です。
そのために、ルカ伝2章41節から6章5節を取り上げ、イエスがどれほど、ご自身のメシア性を現しておられるかを見ることにしましょう。
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