農夫とブドウ畑について最もよく知られているのは、次のイザヤ書の箇所です。
「『さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。
そこで今、エルサレムの住民とユダの人よ、さあ、わたしとわがぶどう畑との間をさばけ。わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。
さあ、今度はわたしが、あなたがたに知らせよう。わたしがわがぶどう畑に対してすることを。その垣を除いて、荒れすたれるに任せ、その石垣をくずして、踏みつけるままにする。わたしは、これを滅びるままにしておく。枝はおろされず、草は刈られず、いばらとおどろが生い茂る。わたしは雲に命じて、この上に雨を降らせない。』
まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。」(イザヤ5:1-7)
農夫とブドウ畑について考える上で、今回、エルサレム聖地研究所の設立者であり、私の友人でもある、ジェームズ・フレミング博士の研究を参考にさせていただきました。
◆農夫は自分の畑を愛する
イザヤ書のブドウ畑の歌はこう始まっています。「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。」(イザヤ5:1)。この農夫がいかに自分の畑を愛していたか、生き生きと描写されています。彼は自分の命を懸けて、畑の世話をしていました。これは、自分の群れに対して羊飼いが抱く愛と似通っています。
続いて「彼はそこを掘り起こし、石を取り除き……その中にやぐらを立て、」とあります。その畑にはあまりにもたくさんの石がごろごろしているため、農夫はその石を使って、ブドウ園の周りに石垣だけでなく、見張り台も造ったのです。イスラエルで、斜面に段々に作られたブドウ畑をよく見てみると、大きな岩が、境界となる石垣と見張り台を造るために使われていることが分かります。二つとも、ブドウ園を守るために築かれました。小さな石は地面にそのまま残されます。その理由については、後で述べることにします。
何からブドウ園を守る必要があったのでしょうか。雅歌にはこう記されています。「『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕えておくれ。』
私たちのぶどう畑は花盛りだから。」(2:15)。詩篇80篇13節には次のようにあります。「林のいのししはこれを食い荒らし、野に群がるものも、これを食べます。」
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