■「娘たち」
十字架からイエスは女性たちに向かって「エルサレムの娘たち」と呼んでいます。この“娘たち”(ヘブライ語で“バノット”)は、大変興味深い表現です。人物の名前に続いてこの言葉を使うとき、その人物の娘たちを表します。
しかし、この言葉が「エルサレム」のように、“場所揩ニ結び付けられて語られるとき、それは、“エルサレムの城壁の外に住む、社会からつまはじきにされた貧しい人々”を意味します(エルサレムの娘たち=エルサレムの貧しい人々)。
ですから「バノット」は、群衆そのものを指します。なぜなら当時、イスラエルの大半の人々が、城壁の外に住んでいたからです。有力な政治家、商人、聖職者たちは城壁の内側に住むことができました。ですから、イエスに付き従って歩き、イエスの上に起こっていることを目撃しながら涙を流していたのは、まさにこうした“群衆”でした。
■「ユダヤ人」
ギリシャ語ではユダヤ人を指す言葉として“イオダイオス”が使われています。この言葉は、歴史家ヨセフスの著作に5千回使われていますが、うち4900回は、「ユダヤ地方の人々(ユダヤ地方―イスラエル南部。エルサレム、ヘブロンなど)」というふうに限定して使われています。
当時のイスラエル内では、“ユダヤ人”とは通常、厳密には“ユダヤ地方の人々”を指し、ガリラヤ地方の人々などは含まれていませんでした。ですから、この箇所に出てくる「ユダヤ人」という言葉は、実は「ユダヤ地方の人々」と訳されるべきなのです。なぜなら、ここで叫んでいたのはユダヤ地方の人々で、彼らが住んでいる地域で起こっていた出来事だったからです。
残念ながら、今日でもなお、“ユダヤ人”と呼ばれるすべての人々に対し、この“ユダヤ地方の人々”が発した言葉が適応され、この民族すべてが、イエスの死に責任あるようなとらえられ方をされています。
ローマ時代、離散地に住んでいたユダヤ人の数は、実際にイスラエルに住んでいたユダヤ人の数より多かったのです。当時、大半のユダヤ人はイスラエルにいなかったことになります。イエスの処刑の現場には、ローマ兵が大きく関与しています。
これに対して、現代のイタリア人は果たしてどう感じるのでしょうか。私はこれまで一人として、イタリア人が十字架のことで迫害されるのを見たことがありません。
しかし、ユダヤ人は違います。彼らは2千年も前に起こった十字架の出来事に対し、関係があると言われ、責任を追及されているのです。ですから、今後、この箇所を読むときには、「ユダヤ人」としているところを「ユダヤ地方の人々」と解釈するのが良いでしょう。
◆私たちにとってどんな意味があるのか?
イエスの死は、世界を救い、私たちを御許に立ち返らせるための救済計画の一部として、神ご自身が預言されたものです。
逮捕、裁判、十字架刑という、幾つかの場面において、語られた言葉、なされた行いは、確実に預言が成就したことを表しています。十字架刑は、イエスにとって驚くべきことではありませんでした。主のみことばをお聞きください。
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