裁判の前の日曜日、ロバの子どもに乗ってエルサレムに入城するイエスの姿を見た群衆は、シュロの葉を手に、「ホザナ!!」と叫びました。メシアとして入城されたイエスのお姿に、イスラエルの国家的回復のしるしを見いだしたのです(ルカ19:28-44)。
恐らくパリサイ人たちは、「イエスに向かって、『先生。お弟子たちをしかってください。』と言った。」(39節)のでしょう。「このイエスは、ローマの支配を転覆させようとしているのではないか……ちょうど祭り(過越)の時期で、エルサレムがユダヤ人の巡礼者でいっぱいになる。こんな時に暴動が起こったら……。」
この予想に、政治的に結託した三者は、不安に陥ったことでしょう。そこでカヤパは次のように結論付けたのです。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(ヨハネ11・50)
(3)イエスは反乱をたくらんでいたのか? 治安妨害で有罪?
「反乱扇動―治安妨害」この理由のために、ついにイエスはピラトによって有罪と宣告されました。“王”という言葉は、この裁判の場面において、マタイ、マルコ、ルカ伝の中で頻繁に使われ、ヨハネ伝には12回出てきます。
「そこでピラトはイエスに言った。『それでは、あなたは王なのですか。』
イエスは答えられた。『わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。』」(ヨハネ18:37)
イエスは、ピラトによって、“王”として、ローマ帝国に反乱をもくろんだとされ、有罪とされました。ヘロデとピラト、両者とも、この罪状を信じました。十字架の上に置かれたイエスの罪状書きには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」とありました。イスラエルの救い主、メシアとしてではなく、政治活動のリーダー、「治安妨害者」とされたことは、どんなに主の御心を悲しませたことでしょう。
サンヘドリンが、イエスをローマ法廷に送ったもう一つの理由は、彼らが民衆に支持されていなかったことです。人々の支持は、イエスにありました。カヤパとサンヘドリンの議員は、商人たちを通して人々に過度な支払いを強いていましたが、イエスは神殿から両替商を追い出しました。この出来事によって、イエスは英雄となりました。
問題の種を取り除かなければならないとはいえ、ピラトはイエスとかかわりをもちたくはありませんでした。そこで彼はガリラヤの統治者であり、そのころエルサレムに滞在していたヘロデ・アンティパスの下にイエスを送りました。
新約の福音書は、反ローマの要素を醸し出さないよう、細心の注意を払って記されています。なぜなら初代教会は、続く300年間、ローマ統治下で生きなければならなかったからです。「(ヘロデは)イエスに会いたいと思っていたし、(ルカ23:8)」と穏便に書かれていても、実際にはイエスの親せきであるバプテスマのヨハネの首をはね、今度はイエスの命を狙っていることは、周知の事実でした。 |