新約聖書には、安息日を守るようにという命令は記されていませんが、新約聖書の著者たちは、安息日を守ることを非常に大切にしていたことが分かります(モーセレイ2、Ron
Moseley, Sabbath, Sunday, Controversy,
N. Little Rock, AR: Mozark Publications,
2002)。
イエスとその弟子たちが、「安息日を守っていない」とパリサイ人から責められた時(マタイ12:3-5)、主は彼らの行動を、安息日を守っているのだと強調され、聖書から弁護されました。
主は安息日の四大目的を次のように教えられました。[1]良いことをする、[2]命を救う、[3]あわれみを示す、[4]男性、女性、動物を肉体的、霊的な束縛から解放する(マタイ12:7、12、マルコ3:4、ルカ13:16)。
福音書はイエスの昇天直後に書かれたのではなく、その後、30年から60年後に書かれました。初期教会はユダヤ人の教会であり、すべての人は神殿の破壊後(紀元70年)も、ずっと安息日を守っていたのです。そして新約聖書の記事では、それが当たり前のこととして記されています。
主イエスと弟子たちは、安息日にシナゴーグで行われる聖書朗読に、ナザレで参加しています(ルカ4:16)。使徒行伝の時代にも、弟子たちはシナゴーグに行っています(使徒13:14、42、16:13、17:1-2、18:4)。主がエルサレムの神殿の破壊を預言された時、主はそのことが安息日に起こらないように祈りなさい、と勧めておられます(マタイ24:20)。
パウロは異邦人に、シナゴーグで安息日に頻繁に語っています。パウロがエルサレム教会の兄弟たちに、律法と昔からの習慣を破っていると非難されたことがありました。しかし後に、非難した側の人々の再調査で、パウロが「律法を守って正しく歩んでいること」が分かりました(使徒20:16、21:20-24)。これは確かに、安息日を守っていたことも含まれているはずです。ですから、パウロの書簡の一部を用いて、“クリスチャンは安息日を守るべきではない”と証明しようとするのは正しくありません。
ガラテヤ書4章9節から10節において、パウロはガラテヤ人に向かって、彼らを、再び奴隷状態に追い込む、無力で無価値な教えに逆戻りしていると叱責しています。パウロは、彼らが各種の日や月、特別な季節や年を守っていると指摘しています。
パウロはこれらをユダヤ人に書いているのではなく、回心した異邦人に対して、再び昔の異教的な祭りに戻ってはならないと警告しているのです。パウロは、やがて来る祝福の影であるユダヤ人の休日や祭りから遠ざかるようにと言っているのではなく(コロサイ2:16-17)、彼らを奴隷状態に引き入れる異教の祭りを避けるようにと言っているのです。 |