今日の社会では、週に五日だけ働くことが、まるで当たり前のように見なされていますが、古代において週に一日休息するという概念は、非常に革新的でした。当時は、週ごとに休日を設けることはありませんでした。余暇を楽しむことは、金持ちや支配階級の専売特許で、奴隷や労働者階級の人々には許されていませんでした。
古代バビロニアでは、“シャパトゥ”と呼ばれる休日が、1カ月に一度だけありましたが、その日は“不幸な日”であると考えられていました。古代のギリシャ人やローマ人は、ユダヤ人を毎週七日目に安息するゆえに、怠け者とみなしており、結論的にはそのことで、彼らを迫害したのです。その結果、ユダヤ人は同化の誘惑や迫害に屈せず、ある時はその富や命を懸けて、安息日を聖なる日として守ってきたのです。どんな迫害に遭っても、ユダヤ人は安息日を神からの贈り物とみなし、決して安息日を守ることをやめませんでした。
◆安息日を「覚えること」と「守ること」
安息日には二つの関連した命令が伴っています。それは「覚えること(ザホール)」と「守ること(シャモール)」です。
■ザホール(覚えること)
私たちは安息日を覚えるようにと命じられていますが、覚えるとは、ただ安息日を守ることを覚えておけばよい、というものではありません。天地創造の記念として、またエジプトにおける奴隷制度からイスラエルの人々が解放されたことを記念する日として、安息日の重要性を覚えておくことを意味しています。
出エジプト記20章8節から11節で、神は第4の戒めをお与えになりました。
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」
この章句において、神は安息日を“天地創造、および神ご自身の休息”と結び付けておられます。七日目に休み、それを聖なる日とすることによって、神が天地とその中にあるすべての物の創造者であられることを覚え、また認めるのです。神の模範にならい、第七日目には仕事を休むのです。
モーセは十戒について触れる中で、安息日に覚えるべき2番目のことに言及しています。「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。」(申命5:15)。
エジプトから脱出したことと、七日目に休むことにはどのような関係があるのでしょうか。安息日は "解放" を意味しています。古代では、休息のための自由時間は、特権階級のみに限定され、奴隷たちには休日がありませんでした。ですから、安息日に休息することによって、奴隷たちは“自分たちが自由であること”を知ることができたのです。 |