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 涙を受けるためのつぼは、詩篇56篇8節に最初に出てきます。詩篇の作者は痛みの中で神に次のように泣き叫んでいます。「どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。」

 神に対して、自分の流した涙を覚えてください、というこの叫びには、ご自分の民に対する、神の深いあわれみとご配慮を表す、感動的なイメージがあります。

 “聖地研究所”の設立者であるジム・フレミング博士によると、涙つぼに涙を集める、という行為に関連していると思われる箇所が、新約聖書に三つあるということです。

 ラザロが亡くなった時、マリヤとマルタはイエスがベタニヤに近づかれるまでの4日間泣き通しでした。二人が主に会うために外に出てきた時、主は二人の涙を見て大きく心を動かされました(ヨハネ11:33)。恐らくイエスは、二人の涙つぼがいっぱいなのをご覧になったのでしょう。

 ゲッセマネの園で、イエスは次のように祈られました。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」(マタイ26:39)。この“杯”についてはさまざまな解釈があります。

 これは、イエスの運命、あるいはイエスが人類の身代わりとして受けられる罪と罰の象徴として、なみなみワインが盛られた杯であったかもしれません。または、大きな悲しみを象徴するものとして、涙でいっぱいになった涙つぼだったかもしれません。もしそうならば、主のおことばは次のような意味があったのかもしれません。「あなたが私に背負え、と仰せられている、この膨大な悲しみと嘆きは、私に担いきれるものではありません。」しかし、主の御心が成されるのに、ほかに道はありませんでした。

 ルカ伝7章36節から50節では、イエスがパリサイ人シモンの家で食事をとっているところに、罪人とされる女性が入ってきて、イエスの御足を涙でぬらし、洗った、と記されています。彼女は主の足元で涙を流したのではありません。

涙つぼ→

 当時の読者たちには、“涙で濡らす”ということが何を意味したのか理解できたことでしょう。彼女は自分の涙つぼを空にすることで、過去の悲しみを洗い流したのです。この行為を通して、彼女は過去の心痛む事柄からの慰めと過去の罪に対する赦しを求めていたのです。彼女はこの両方を得ました。彼女はイエスの中に、悲しみに対する解決を見たのでした。

 イエスと共に食事をとっていたパリサイ人は、この女性を罪人だと知るがゆえに、彼女に対して何の関心も払いませんでした。当時、禁欲的な文化をもっていたギリシャ人のように、彼らは“義務”として律法を遂行しました。逆に、イエスは“あわれみで満ち”、“涙され”“悲しみを抱かれ”ました。ギリシャの神々とその文化は冷たいものでしたが、ヘブル人の神は、心(愛)をもっておられました。これはパリサイ人が忘れてしまっていた、神のご性質でした。

 
 
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