遺体は、目を閉じられ(創世46:4)、きれいに洗われ(使徒9:37)、防腐のためではなく、埋葬されたらできるだけ早く土に分解するようにと、大量の香料や香油が注がれました。墓を訪問することが習慣であったことから、これは遺体が土へ帰っていく上で発生するにおいを防ぐものでもありました。
遺体を包むための亜麻布、または布切れにも香料を染み込ませました(II
歴代16:14、ヨハネ19:39-40)。遺体全体を包み、さらにもう一枚の布で頭部が包まれ、布切れであごのところを固定しました。この遺体の埋葬準備は、通常、遺族によって(レビ21:1)、家族がいない場合は、近しい友人たちの手で行われました。
主イエスの埋葬についての記事は、当時(第二神殿期)の埋葬がどのように行われたのかについて、ヒントを与えています。(ヨハネ19:38-41、20:1、6-7)
←第二神殿期(イエス時代)の骨つぼ
当時、棺おけはそれほど普及していませんでした。むしろ、遺体は亜麻布で巻かれた後、自然による風化に任せられました。
骨だけになると、遺骨を集めて骨つぼに納め、墓の内部の別の場所に安置しました。骨つぼは大体長さ60cm、広さ46cm、高さ30cmの大きさのもので、装飾が施されていました。似たようなスタイルで、さまざまな種類があり、家族が同じ墓で一緒に眠ることができるようにされていました。
ユダヤ人や初期のクリスチャンは、火葬はしませんでした。それは、肉体は自然に土へと帰るという信仰に基づいていました。聖書時代、火葬は罪人に対する罰として、辱めに満ちたものでした(ヨシュア7:15、イザヤ30:33)。
遺体を焼くということは、数々の背きの罪に対し、聖書のおきてとして定められた、四つの死刑法の一つでした(レビ20:14、21:9)。また、異教徒が用いる埋葬法で、特にギリシャ人やローマ人は、魂だけが生き続けると信じ、遺体にはほとんど関心を払っていませんでした。
◆聖書時代の埋葬
ユダヤ人の風習では、葬式とは、遺体を墓地まで運ぶ過程そのものでした。亜麻布に包まれた遺体は、木製の台に置かれて運ばれました。この風習は少なくともダビデ王の時代にまでさかのぼることができ(II
サムエル3:31)、新約時代にも続けられていました(ルカ7:12)。
墓地までの葬列は決して“しめやか”とは言えないものでした。人々は大っぴらに悲しみを表し、衣服をずたずたに引き裂いて悲しみを表現しながら進みました。普通に嘆く人々、また“泣き人”として雇われた人々などが、大っぴらに悲しみを表しました。会堂管理者ヤイロの家にいた“泣き人”たちは、イエスが彼らを追い払うことを嫌がりました。恐らく、自分たちの収入を失いたくなかったのでしょう(マタイ9:24)。
葬列が進む中、歌が歌われ、楽器が演奏されました(通常は笛)。特に有名な故人のためには、その人を賛美する、記念の哀歌が作られました(II
サムエル1:18)。
|