死と埋葬について、聖書で触れられている数少ない箇所は次の通りです。「その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」(申命21:23)。「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世3:19)。また、死者に触れる場合に関する、いろいろな律法がありました(民数5:1-4、19:16、申命21:22-23)。これは埋葬に備えて、遺体をどのように扱い、どこに安置するかを定めたさまざまな注意事項でした。
聖書では、人が死ぬ理由を二つ挙げています。
その1―もともと神は地上のちりから人を造った。だから人は土に帰らなければならない(創世2:7、3:19、ヨブ10:9)。
その2―人は罪のゆえに死ぬ(創世2:22-24)。
ユダヤ人は、“死は消滅を意味するのではない”、と信じていました。その肉体はもともとの土に返る(伝道者3:20)。そして、魂は“シェオル(新改訳聖書で「よみ」)”(創世37:35)と呼ばれる永遠の場所へ向かう(民数16:33、詩篇6:5、イザヤ38・18)と考えていました。ダニエルの時代に啓示が与えられるまでは、肉体の復活があることも、ある人々は永遠の命を受け、残りは永遠の罰を受けることも明らかにされていませんでした(ダニエル12:2)。
←エルサレムにある“ヤソンの墓”。故人を記念するデザインとして典型的な例。
第二神殿期になると、サドカイ派とパリサイ派の間で、復活に関する教義の相違が起こりました。パリサイ派はメシアが来てイスラエルを救う際、死者の魂が地に戻ってきて、肉体が再生され、復活する、と説きました。サドカイ派は肉体の復活を否定しました。
新約聖書の時代に入り、永遠の命という概念が発達していきました。キリスト教の基本として、人は罪の中に生まれるが、イエス・キリストの死によるあがないを信じることで、罪を告白して赦され、天国で神と共に永遠の時を生きる、と教えられています。この信仰無しでは、神から引き裂かれ、地獄で永遠の時を過ごすことになるです。イエスが地上に再臨されるとき、肉体の復活があるという概念もまた、新約聖書の中で発展していきました(ヨハネ3:16、36、ローマ6:23、
I コリント15:12-23)。
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