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 最後に、この例え話に登場する人物が、私たちにどんな関連があるのかを見てみましょう。

 私たちは、この放蕩息子の次男坊のようではないでしょうか。私たちに愛を注いでくださる父なる神に逆らって逃げ出しながらも、結局この世は自分たちが思い描いていたようなものではなかったことに気付くのです。そして、神から逃亡することをやめ、御許に立ち返ることを願います。もし、私たちが罪と背きを告白するなら、父なる神は、私たちを正しく取り扱ってくださる上に、祝福を注いでくださるのです。教会で行われる聖餐式を思い出してください。あれは、十字架で死んでくださった主が私たちの罪を赦し、受け入れてくださることを覚えて行われる和解の食事なのです。

 パリサイ人のように高慢な、兄のことを思い出してください。私たちの中にも、彼のような性質が潜んではいないでしょうか。なかなか人の罪を許すことができず、和解できずにいるのではないでしょうか。兄はいつも家で父親のそばにいて、父の物はすべて彼の物となることが決まっていました。それでもなお、この兄のように、私たちも、兄弟姉妹の誰かが神から祝福を受け取ると、それをねたましく思うことはないでしょうか。神の祝福は、私たちすべてに注がれているにもかかわらずです。ヤコブはこう言っています。「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」(ヤコブ4:2-3)

 この兄のように、私たちも天の父を、あれもしてもらっていない、これもしてもらっていない、と責め立てることはないでしょうか。私たちの人格の中に神の霊の実が豊かに表され、プライドが打ち砕かれて姿勢が改められない限り、私たちは多くの祝福を見失うことになります。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22-23)。私たちは、己の口から出てくる言葉を吟味し、己の心に何があるのかを探る必要があります。

 もう一度言いますが、神はこの例え話に出てくる父親のようにあわれみ深いお方です。二人の息子はそれぞれに悪く、父にひどい態度をとりました。それでも、父は両方に愛と理解とあわれみを示し続けました。この父の誠実な愛と抱擁に応えた弟は、和解に入ることができました。兄が果たしてどうなったのか、私たちは知りませんが、彼が心を取り戻し、宴会の席へ戻っていったことを心から願うばかりです。

 この例え話から学ぶことは、私たちは放蕩息子の弟のようであろうが、兄のようであろうが、天の父の呼び掛けに応え、自らの反抗的で高慢な、自分の正しさゆえに決して人を赦そうとしない態度を改めて、神と、他の人々との和解の宴会に加わる必要がある、ということです。神はいつも、私たちに慈しみを注ごうとしておられます。天の父にとって、私たちはそれだけのことをする価値のある存在なのです。神からの祝福を受け取り損なうことがないようにしましょう。

 エルサレムからシャローム

 
 
 
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