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 これを聞いた兄の耳からは、怒りのあまり湯気が立っていたに違いありません。父は自分の結婚式の時にも、太った子牛はほふってくれなかった。しかしあの弟には衣装棚から一番上等の長衣を選んで着せ、サンダルを与えている。兄は怒りでいっぱいになり、宴への出席を拒否しました。つまり、彼は弟と和解するつもりもなければ、偽善者ぶるつもりもなかったのです。

 そこで父親がやって来て、兄息子も宴に参加するよう促しました。しかし怒り心頭の彼は、心を傷つける言葉を父に浴びせました。長い間反抗することなくあなたに仕えてきた自分を、ただ奴隷のように扱った。あなたは私が友人たちと祝えるようにと、ヤギ一匹くれるような配慮も示したことがなかった、と。彼は自分の弟を、「すべてを浪費したあなたの息子」と第三者扱いし、自分は父のために奴隷のように働いてきた、それなのに父は何も自分に報いなかったと口走りました。怒りのあまり、彼は心で思ってきたことを露呈してしまったのです。

 長男に対し、この愛情深い父親は何と言ったのでしょうか。「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」(ルカ15:31)。兄は、本来苦々しく思う必要のないことに対して、苦々しい思いを抱いていたのです。彼は、父親が公平でないと言った時点で、自分の態度を改めるべきでした。イエスは次のお言葉を通して、人間は自分の心に抱いていることを口すものであると語られました。「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」(ルカ6:45)。父親は二人の息子、その両方に対してあふれんばかりの愛を抱いていました。しかし、兄は自分の本心を表しました。彼は父親と弟、その両者に腹を立て、弟を赦そうとしませんでした。

 その後、兄が平常心を取り戻し、家族や友人と共に宴会の席に加わったのか、加わらなかったのか、その結末は書かれていません。恐らくイエスはパリサイ人に、神の愛と赦しは彼らが罪人ととらえている人々にも注がれていることを知らせ、罪人に対する自らの態度について考えさせるために、あえて物語の結末を語らなかったのでしょう。

 では、私たちにとってこれらは何を意味するのか?

 罪人に手を差し伸べるイエスを、パリサイ人は批判しました。主のお心は、どんなに痛んだことでしょう。イエスはこの例え話を通して、失われた魂に向かおうとする父なる神の心を表されました。

 神は、詩篇23篇で描かれている、羊飼いなる主です。迷った羊(魂)を救うべく、その後を追いかける神、これは自らを捧げる姿そのものです。

 
 
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