放蕩息子が旅立った“遠い国”(13節)とは当時のデカポリスで、ガリラヤ湖の南東部に位置していました。デカポリスとはギリシャ語で“10の町”を意味し、ギリシャの支配下にあり、ギリシャ的な慣習に染まっていました。こうした慣習は、ユダヤ本来の聖書的な文化とは相いれないものでした。実際に、信仰深いユダヤ人たちは、これらの町々に一歩も足を踏み入れようとしませんでした。アレクサンダー大王がこの地域を紀元前332年に征服した時、彼は町々をギリシャ文化の下で発展させようと計画しました。以来、ローマ時代になってからも、そのギリシャ的な慣習が引き継がれ、偶像崇拝の文化が聖書的なユダヤ文化を追い落とし、争いが各地に起こり続けました。
なぜ、放蕩息子がデカポリスに行ったことが分かるのでしょうか。彼は財産を使い果たし、豚小屋に住んで豚の餌をあさるまでに身を落としたと書かれているからです。デカポリスの外にあるユダヤ人の村や町では、豚が飼われることは決してありませんでした。若者の目に、刺激的で世俗的なデカポリスの町々はとても魅力的に映りました(偶然ですが、ルカ伝8章26節から38節で、イエスが追い出したレギオンと呼ばれる悪霊の集団が豚に乗り移り、ガリラヤ湖でおぼれ死んだのは、東岸のゲラサという町で、デカポリスの一つでした)。
こうしたポリス(ギリシャの町)での生活とはどんなものだったのでしょうか。
表面的には何ら害がないように見えます。しかし、聖書教育を受けたユダヤ人の若者にとって、ポリスでの生活は誘惑の連続でした。
ポリスに入ると、そこは町の外周部で、映画『ベン・ハー』に出てきたヒッポドロム(戦車競技場)や、剣闘士たちによる競技が行われたコロシアムがありました。単なるスポーツと言えば聞こえがいいでしょう。しかし戦車競技や剣闘競技では口汚い言葉が飛び交い、豚肉などのユダヤ教の食物規定に合わない、汚れた食物が売られていました。コロシアムでは、剣闘士はどちらかが死ぬまで戦わせられました。このように、ギリシャ人やローマ人は、人間の命の価値を認めていませんでした。
町の中心部には、フォーラムと呼ばれる大広場があり、行政関係の建物、青空市場、ギリシャの神々が祭られた神殿、訓練場、劇場やファストフードのレストランがありました。
市場では、ユダヤ教の食物規定に反する汚れた食物、また聖書の教えに反する偶像やお守りが売られていました。異教の神が祭られ、神殿娼婦たちが控えており、神への礼拝行為の一つとして、参拝者は彼女たちと性交渉をもちました。いわゆるスポーツ・ジムのような場所であるギムナジウムは一見無害ですが、建物に入る際、アポロン神の偶像におじぎをしなければなりませんでした。また、ここで人々は裸体となって格闘技などを行っていました(ギリシャ語で「ギムノス」=裸)。劇場で上演されていたのは、偶像の神々にまつわる悲劇や喜劇でした。ファストフードのレストランは、現代の私たちが利用するものとあまり変わりがありません。ただし、ここで出される料理は、偶像に捧げられたものを客用に下ろしたもので、ユダヤの食物規定に反するものでした。放蕩息子にとって、この町は見かけ以上に危険な場所だったのです。
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