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◆「あなたがたは世界の光です」
イエスがご自分の弟子たちを「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5:14)と言われたのは、ご自分のユダヤ的背景を踏まえてのことで、当時、決して独創的な発想でも、革新的な概念でもありませんでした。イエスは古代イスラエルの民が受けた「世界の光」となるべき使命を、弟子たちを任命される際に託されたのです。
最初、イエスはご自身を“光”として現されました。「わたしは、世の光です。」(ヨハネ8:12)。イエスは、まだ生後間もない時点で、イスラエル人の定めとして母マリヤの手に抱かれてエルサレムの神殿を訪れました。メシアの到来を待ち望んでいた、敬虔なシメオン老人は、幼子イエスを抱き上げてこう叫びました。「私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:30-32)。この、生きたメノラーであられるお方は、イスラエルと諸国民の両方に光をもたらされるために来られました。人としてのイエスは、ただ、完全な聖なる者とは何か、ということだけでなく、完全な人間とは何かを証しするために来られました。アダムの創造以来初めて、完全な人間性の神髄が、このイエスに表されているのです。こうなると、イエスは神のメノラーそのものであるということに、何の不思議があるでしょうか。「わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」(ヨハネ9:5)。主はこう力強く宣言されたのです。
伝道生活の後半で、イエスは“個”としてのこれまでのご自分から、ご自分を信じる人々が集合して一致する形での、ご自分の御体のことを、弟子たちに教えられました。メシアの御体として、彼らは“世界の光”となるようにされたのです(マタイ5:14)。「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(エペソ5:8-10)。ペテロは、異邦人もまた暗闇を抜け出して、神のすばらしい光の中へと入れること、それゆえ、神の選びの国民の一部となり、イスラエルと共に「神の大いなる御業を宣言する者とされ」(
I ペテロ2:9)ることを語っています。
◆「『わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」
メノラーはまた、聖書預言の中に現れる数々のしるしの中でも最も強力なものとして、ゼカリヤ書4章に描かれています
ユダヤ人たちが、バビロンの捕囚から解放されて70年ぶりにエルサレムに帰ってきた際、完全に荒廃しきった祖国の状況が目に入りました。栄華を極めた神殿もまた、瓦礫が積み重なり、荒れ果てていました。この弱りきった民が、資源も人材もなく、ソロモンの時代に得られたような国際的な援助もない状態で、どうやって神殿の再建を立案し、実行することができたでしょうか。バビロンに捕われていたユダヤ人のうち、実に80パーセント以上の人々が、イスラエルに戻って再建の苦難を味わうよりも、異国の地に残ることを選びました。彼らの中には、最も優れた知識人たち、また職人たちも含まれていました。
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