
セムもまた、それ自体名前ではなく、神の特別な働きを担う、ノアの息子の称号でした。ヘブライ語でセムは“名前”を意味します。ヘブル的思考では、名前は人格と同じ意味をもちます。セムは神のご人格やご性質について、神から直接教えを受けました。また、アダムの時代から起こったすべてのことを知っている人物として、“名前を運ぶ者”という役割を担っていました。
セム(名前を運ぶ者)は、洪水を生き延び、後の人々にすべての知識を伝える者として神に選ばれました。彼は586年間生きました。神は彼をエルサレムの王、また大祭司として選ばれただけでなく、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてイスラエルの12部族に至るまで、族長たちの霊的指導者としても選ばれたのです。メルキゼデク(セム)は、族長たちに、いと高き神の知識について、また神との直接的なコミュニケーションのとり方について教えました。また、洪水以前に起こった出来事を言い伝えました。セムはまた、ヘブル人の父祖である、エベルの先祖でもあります。そのヘブル人たちは、選ばれた民族として、世界に神のメッセージと知識を伝えたのです。
◆メルキゼデクの位
では、メルキゼデクの位とは何でしょう?
●永続的な祭司
簡単に言えば、それはレビ族が担っていた祭司職よりも優れた、永続的な祭司職です。この祭司は、神の知識を人間に与え、神との直接的なコミュニケーションを可能にします。このメルキゼデクの位は、約束されたメシアによってのみ成就され、彼によってその恩恵が私たちにも及びます。
この結論はいくつかのみことばによって立証されています。ヘブル書では、イエスがメルキゼデクの位に関係付けられ、この人物と彼の職務についてより明らかにされています。洪水前後を生きたメルキゼデクは、いと高き神の町エルサレムの王、また大祭司として神に任命されました。イスラエルの歴史の中で、一人の人が王と大祭司の両方に任命されたことはありませんでした。古代中東の他の国々ではあったかもしれませんが、二つの職務が独立しているイスラエルでは、このような習慣はありませんでした。メルキゼデクは、祭司であり王であるという点において、とてもユニークな存在でした。
●肉ではなく、霊による地位
ヘブル書7章3節にはこう書かれています。「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。」
ここには、メルキゼデクについての情報がぎっしり詰まっています。「父もなく、母もなく」とは、肉体の出生について言っているわけではありません。むしろ“メルキゼデクの位”を通して新しいことを始め、新しい方法で神を表すという、神によって選ばれた霊的立場について説明しています。同様に、私たちも神の救いを受け入れ、御国の一員として生まれ変わるとき、地上の家系にはもはや意味がありません。「果てしのない……系図に心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。」(テモテ1・4)とさえ言われています。私たちは、「父もなく、母もない」新しい霊的家族です。私たちの新しいアイデンティティーは、父なる神にあります。
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