◆では、パレスチナ=ユダヤ=イスラエル間のかかわりとは何か?
●バルフォア宣言
統治者は変わっていきましたが、アブラハムの時代から、ユダヤ人はいつもこの地に住み続けてきました。そして1880年代より、何百万という数で「地の四隅」から父祖の地へと流れ込み始めました。(イザヤ11:11-12)
400年間のオスマントルコ帝国による支配に終止符が打たれ、1917年10月31日、イギリスの戦時内閣は『バルフォア宣言』を立案、同年11月2日に正式に国策として発布しました。この宣言には次のように書かれています。
「政府はユダヤ人のために、パレスチナに祖国を樹立することを容認します。そしてその目的達成のために、最大限の努力を払うものとします。」
このバルフォア宣言は、国連と、他の西側諸国の承認を得ました。ユダヤ人はもとより、中東のアラブ人も、オスマン帝国による支配のくびきから解放されたばかりだったので、当初、この内容を受け入れるだろうという希望的観測がなされました。アラブ人リーダーの一人、エミール・ファイサルは、1919年のパリ講和会議で、シオニストのリーダーであるハイム・ワイツマン博士および他のユダヤ人リーダーたちと会談し、アラブ人とユダヤ人の間にある血族関係、および民族的連帯に留意する内容の同意書に書名しています。
●アラブ・ナショナリズムの台頭とユダヤ人排斥
アラブ=イスラムの民族主義が勢力を増し、ナチス・ドイツが世界中に反ユダヤ主義を広める中、パレスチナに住むユダヤ人の生活は、より過酷さを増してきていました。ヨーロッパでは、ホロコーストによって何百万人ものユダヤ人が命を落としていきました。それでもなお、ユダヤ人は希望を捨てることなく祈り続け、あらゆる困難を乗り越えていきました。そして1948年5月14日、現代イスラエル国家が誕生しました。
イスラエル独立宣言の内容は、アラブ人との共存を提示するものでした。しかしながら、アラブ側は、「ユダヤ人を地中海に押し返す」という目的で、独立してまだ数時間のイスラエルに、7カ国が連合して攻め上り、共存を拒否しました。
戦争を進めやすいように、アラブ連合は、イスラエル国内に住むアラブ人に対し、「アラブ側が戦争に勝ったら、エジプトの市民権を与える」と約束し、退去を勧告しました。多くのパレスチナ系アラブ人がそれに従いました。しかし、このもくろみに反して、イスラエルは奇跡的な勝利を収めました。戦後、イスラエルを出たパレスチナ系アラブ人に対し、エジプトは市民権授与の約束を不履行にし、結果として彼らは国無しの状態になりました。これが「パレスチナ難民」の発生です。
イスラエルの呼び掛けに応え、イスラエルに残ったパレスチナ系アラブ人(現在、イスラエルの全人口の20%)は、ユダヤ人と同じ権利と特権を保証されています。しかし、アラブ諸国に住むユダヤ人には、何の権利も保障されていません。厳しい迫害の末、すでにユダヤ系住民が存在しなくなった国々もあります。
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