それではイエスを拒絶していたのは誰でしたか。神のひとり子は、彼を拒絶した農夫たち、つまり腐敗したヘロデ派のサドカイ人祭司のところへ来られたのです。彼らは御子を死に至るまで罪に定めました。そして3日目に、捨てられた石は霊的幕屋の隅の頭石として、再びよみがえられました。言い換えるなら、イエスが勝利されたのです。それには痛みと苦しみが伴いましたが、最終的に石が勝ったのです。ルカ20章9-16節は、「悪い農夫のたとえ」ではなく、「拒絶され殺された息子―捨てられた石のたとえ」と呼ばれるべきです。
◆「捨てられた祭司たち」
このたとえは、腐敗したヘロデ派の祭司こそが、メシアを拒絶した悪い農夫であり、それゆえ彼らのブドウ園、すなわち神殿における権威が取り去られると教えていたのです。ここで登場する農夫は、悪のゆえに退けられたイスラエル民族を表しているのではありません。むしろ、ルカ20章16節と18節は、後のエルサレムとサドカイ人の滅亡を暗示していたのです。というのは、これらの祭司は、紀元70年にエルサレムとともに滅んだからです。神殿の破壊直後から、サドカイ派の生き残りは全くいなくなりました。イスラエルの民は、堕落し腐敗した祭司職と対立していました。また、イエスもその世代の堕落した祭司を拒絶することで、真実なユダヤ人と一致していました。
このような流れから、バリー・デニスンによる「ブドウ園のたとえ」に関するこの解釈は、歴史的・文化的文脈と矛盾せず、主イエスの言わんとしたことを正確に把握していると言えます。
◆では、私たちにとってこれは何を意味するのか?
歴史的に流布している「神がご自分の契約の民、ユダヤ人を拒絶された」という教えは、明らかに誤りです。ユダヤ人を攻撃するために用いられた根拠を注意深く調べるなら、これらが聖書的に真実ではないことは明らかです。神は次のように約束されました。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」(創世12:3)
エレミヤ31章35-37節には次のように書かれています。「主はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の主。『もし、これらの定めがわたしの前から取り去られるなら、……主の御告げ。……イスラエルの子孫も、絶え、いつまでもわたしの前で、一つの民をなすことはできない。』
主はこう仰せられる。『もし、上の天が測られ、下の地の基が探り出されるなら、わたしも、イスラエルのすべての子孫を、彼らの行なったすべての事のために退けよう。…主の御告げ。……』」
これは、神がイスラエルの民と土地について結ばれた契約は、永遠に無条件で続くことを表しています。もちろん、彼らの振る舞い次第で、祝福が左右されるという条件が付きますが、地の所有権については、彼らの行いとは関係なく、無条件なものであり、決して動かされることがありません。
|