◆教父たちの教え
ユダヤ人への敵意は、初代教会の教父たちの書き残したものにも現れています。例えば、殉教者ジャスティンは、ユダヤ人について「聖書はあなたがたのものではなく、われわれのものだ。」と書いています(160年)。またリヨンの司教イレネーウスは「ユダヤ人たちは神の恵みから廃除された。」と書いています(177年)。ターチュリアン(160-230年)は、彼の論文『ユダヤ人への攻撃』で、神はクリスチャンを恵みのうちに選ばれた一方、ユダヤ人を拒絶されたと宣言しています。4世紀初頭、神学者エウセビウスは「旧約聖書の祝福の約束はクリスチャンのものでユダヤ人のものではなく、代わりにすべてののろいがユダヤ人に向けられた。」と書いています。彼は教会こそが旧約聖書を引き継ぐ者であり、ユダヤ教に取って代えられたものであると論じました。
初期の教父たちのこうした教えは、若い教会に深い影響を及ぼすこととなりました。そして「肉のイスラエル」を疑いの目で見、神が彼らを退けた代わりに、ご自分の愛をクリスチャンに移されたことを証明することが、自分たちのために欠かせないことであると考えるようになりました。
◆反ユダヤ主義の根拠となるみことばとは?
新約聖書がそのユダヤ的ルーツから切り離されてしまった時から、教会はユダヤ人への尊敬を失ってしまいました。また、イエスと使徒たちがこうあるべきと思い描いた、教会とユダヤ人との関係を失ってしまいました。このことが、結果的に歴史を通じて聖書個所の誤った解釈を生み出すことになったのです。
ここで、ユダヤ人を攻撃するために、みことばを曲解した分かりやすい一例「ブドウ園の悪い農夫のたとえ」について、元BFP国際本部長、バリー・デニスンの聖書解釈を見ていきましょう。
◆悪い農夫のたとえ
神がユダヤ人を拒絶されたことを正当化するために、イエスご自身が語られたたとえ話が用いられました。
このたとえは、マタイ21章33-46節、マルコ12章1-12節、ルカ20章9-19節に記されています。
「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。
ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」
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