|
神の備えについて、私自身も多くの体験をしてきました。神は、私たちのすべての必要を必ず満たしてくださいます。しかしそれには、神が私たちとの間に結ばれた約束を果たしてくださるお方であると、信じる必要があります。私たちはただ、主が捧げるように命じられたことに従うのみです。特に、そうするよう主が個人的に語られたときはなおさらです。あなたの教会が、その第一歩です。
新約聖書をとおして、私たちは次のように教えられています。「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。」(マタイ6:19)
人から受けるには、まず自分が最初に与える者とならなければなりません。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6:38)
パウロはエルサレムへ旅立つとき、いつも現地の兄弟姉妹に捧げる献金を携えていきました。ローマ書15章27節で、彼は異邦人(クリスチャン)にこう語っています。「彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。」
まず、少し時間をとり、主と自分の間に成り立つ「捧げる←→受ける」の関係について、主に伺いましょう。私たちは本当に、十一献金、捧げ物、時間と才能をとおして、主を礼拝しているでしょうか。主から受けている分け前分以上に自分のために蓄えることで、祝福の流れを断ち切ってはいないでしょうか。神とのギブ・アンド・テイクの関係からくる喜びを見失ってはいないでしょうか。豊かに捧げるようにと神に示され、それに従ったとき、他の人、また私たち自身に起こる神の奇跡の御業を経験したことはあるでしょうか。
イスラエルの地から示される一つの例を挙げて、このティーチングを終わらせていただきます。
イスラエルには、ガリラヤ湖と死海という二つの湖があります。この二つの湖は、与えることと受けることに関する神の法則を表しています。死海は世界で一番低い所にある湖ですから、ひたすら流れてくる水を受けるだけで、そこから水を流すことはしません。塩分が大変濃いので、そこでは生物が住むことができません。また、水位は年々減っています。少しずつ死に近づいている湖です。
一方、ガリラヤ湖には水が豊かに注ぎ込み、さらにここからたくさんの水が流れていきます。ここの水はいつも新鮮で、ここからイスラエル全体の畑へ水が供給されていき、果物や野菜が豊富に実ります。イスラエルの大地と人々の両方に命を与えているのです。ガリラヤ湖の水は常に淡水でいつも満たされています。ここは生きた湖です。受け取るばかりで、一見豊かそうでも、実は死海のようになってはいませんか。豊かに水を注ぎ、そして豊かに受け、周囲に命を与え、なおかつ自分自身もいつも新鮮で、主にあって満たされているような、ガリラヤ湖のような存在になろうではありませんか。
エルサレムからシャローム |