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興味深いことに、ソドムが破壊された原因の一つに、人々が豊かな物質的恩恵を受けていながら、貧しい人々に助けの手を差し伸べなかったということがありました。「だが、あなたの妹ソドムの不義はこうだった。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き、安逸をむさぼり、乏しい者や、貧しい者の世話をしなかった。彼女たちは高ぶって、わたしの前で忌みきらうべきことをしたので、わたしはこれを見たとき、彼らを取り除いた。」(エゼ16:49-50)
◆「ツェダカー」……ユダヤ人がもつ慈善の概念
ユダヤ人が慈善について抱く概念は、聖書に基づいています。彼ら自身が、全世界では少数派の存在であったことから、ユダヤ人は、他者、特に共同体の中にいる貧しい人々、やもめ、孤児、病人、虚弱者、高齢者、持参金も持てないほど貧しい花嫁などを助け、葬儀費用を負担するなど、高い水準の慈善システムを構築しました。また、イスラエルの地に住む同胞には、彼らの生活を支援するために援助金が寄せられました。
この、ユダヤ人の慈善概念をヘブライ語で「ツェダカー」と呼びます。この言葉には「正義」「慈善」の二つの意味があります。ツェダカーは、人が人に与えることができる、最高の贈り物でした。
←1876年、ロンドンのイースト・エンドでユダヤ人が運営していたスープ・キッチン(食糧配給所)
すべてのユダヤ人には、慈善活動に協力する義務が課せられています。たとえその人が保護される立場にあっても、自分よりさらに貧しい人のために捧げることが求められました(タルムード/ギット:7a)。ラビたちは、人間が生きている世界は、霊的、物質的両方の側面があること、それゆえバランスをもって生きていかなければならないと教えました。慈善は、人間の財産をバランス良く保つための手段であり、神が心配されている貧しい人々を無視して、自分自身のためにあまりにも多く貯蓄するものではないと説きました。
◆神は備えたもうお方
では、私たちはいかにして、こうした数々の捧げ物を主に捧げ、なおかつ他の人々に助けの手を差し伸べることができるのでしょうか。
ここで出てくるのは、神の経済がいかに美しいものであるかということです。神は私たちにすべてをお与えくださる方ですから(第2コリ9:10)、私たちは信仰と賛美をもって、その与えられた分から、量に応じて、献身的に、かつ喜びながら捧げ物をします(第2コリ9:7)。そして、それは無意味に地に落ちることは絶対にありません。「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)。
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