金額の大小は関係ありません。何でも犠牲を払い、心から捧げられたものであるなら、それは主にとって価値あるものです。まず、主が何をしてくださったのかを覚え、それに対する応答として、私たちは主の御前に、できる限りの思いを捧げる必要があります。
←銅製の献金箱(イタリア・レジオ、1830年製)。箱は二つに分離し、ちょうつがいが付けられていて、鍵が掛けられるようになっている。
◆聖書的な捧げ物は、貧困を緩和する
供え物は、罪の許しを請い、罪の報いを軽くしてもらうために捧げられました。一方、十分の一の捧げ物については、貧困者を助けるために捧げられました。社会の底辺で虐げられている人々―貧しい人々、困窮している人々、やもめ、孤児、病人、虚弱者などを支えるためです。例えば、畑地の隅を収穫しないことで、貧しい人々が刈り取りをすることができました。
古代イスラエルでは、聖書に定められた掟を守る(捧げ物を含めて)ことによって、結果的に、祭司やレビ人を養い、神殿の営みを支え、また必要を抱える貧しい人々の生活を支えることになりました。
主はこう約束されました。「そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。ただ、あなたは、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令を守り行なわなければならない。あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。」(申命15:4-6)
もし、掟を守ることをとおして、イスラエルが聖書の理想どおりの国となっていたら、そこの住人は幸せな家庭を営み、産業活動をとおして国中が潤っていたことでしょう。しかし現実には、戦争、税、飢饉、干ばつ、高利貸しの取り立てなど、貧困を生み出す数々の要因が存在しました。
貧しい人々に対する配慮は、旧約の預言者たちが常に掲げていたことの一つであり、新約聖書においてもしかりでした(イザヤ61:1-2、ルカ4:18、14:12-14)。使徒行伝九章三六節に登場する女性、ドルカスは、いつも良い行いをし、貧しい人々を助ける人物として記されています。また、貧困者に金を貸した場合、利息を取ることは禁じられていました(出エジ22:25、レビ25:35-36)。高利貸しや債権者が、借り手をいじめることを規制する律法も存在しました。これは、借り手が支払いできなくなった場合、窮地に陥ることを防ぐためでした。(申命24:10-11、24:6)
やもめや孤児に対する配慮もまた、聖書全体を貫くテーマの一つとなっています(ヨブ24:3、9、詩篇94:6、イザヤ10:2)。孤児に対する虐待は、社会が堕落していることの明白なしるしでした。独身の女性や孤児たちにとって、たった独りで自らの生活を支えていく手段はわずかでした。
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