◆供え物
十分の一の捧げ物とともに、「供え物」の重要性を挙げることができます。聖書時代の人々は、今の時代では考えられないほど大きな犠牲を捧げていました。彼らが捧げた品目は以下のとおりです。
- 「収入の十分の一」(レビ27:30、32)→年間収入の10%。
- 「シュミターの年」→ これは、毎年7年ごとに、債権、つまり他人に貸した土地や財産などを返してもらう権利を無効にすることです(申命15:1)。また、この年には畑地のすべてを休閑させなければなりませんでした(出エジ23:11、レビ25:4)。このシュミターの年をとおして、各家族が主に捧げるのは、年間総収入の14・2%に当たります。そればかりか、債権を無効にし、奴隷も解放しなければなりませんでした。
- 「落穂拾い」(レビ19:9、23:22)→収穫期には、畑地の隅からは刈り入れをせず、貧しい人々が落穂拾いをできるように残しておきました。これは、収入の5〜10%を捧げていることになります。
- 安息日(出エジ23:12)→これは、収入の14.2%を捧げていることになります。
- 50年ごとの「ヨベルの年」(レビ25:10-11)→この年には、畑地を休閑地とし、奴隷を解放し、担保として預かっている土地を元の持ち主に返し、債権を無効にします。これは毎年5%ずつを主に捧げていることになります。
- 各家畜の初子の雄を選び、主に捧げる。また、各家庭の最初の男子は、主のものとして捧げる(この場合は、長男のために献金を捧げる)(出エジ13:12-13)→難しい換算ですが、おそらく毎年5%ずつを捧げているのと同じことになります。
これを総計すると、何と、年間総収入の60%を主にお捧げしていることになります。
加えて、彼らは主の例祭を守るよう命じられています(レビ23:14)。このため、毎年3頭の動物を犠牲獣として捧げました。また、年間をとおして、数々のさまざまないけにえや供え物の慣習がありました。「和解のためのいけにえ」「罪過のためのいけにえ」「罪のためのいけにえ」「日々の供え物」「主への奉納物」「誓願のための供え物」「進んで捧げる供え物」などです。当時の人にとって、これは多大な重荷でした。
これらの供え物は、主に捧げるものですから、一点の汚れも傷もあってはなりません。祭司たちは、供え物が神に受け入れられるものであるかどうか、捧げられる前に一点一点検査を行いました。捧げ物には大きな犠牲が付き物でした。
当時の子牛や羊一頭は、現代でいうBMWやレクサスといった高級車一台に値しました。神には何でも、とにかく古びた物を捧げることが禁じられていました。マラキ書で神が民に怒られたのも、これを破ったからにほかなりません。神は私たちに最良のものをくださる方ですから、私たちがお返しするときにも、同じように最良のものをお求めになるのです。
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