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◆捧げることは喜びとなり得る

 私はこれまで、たくさんの教会を訪問し、献金が捧げられる現場を見てきました。ある教会では、献金のアナウンスが流れると、信徒から自然に喝さいが上がりました。彼らは、献金と捧げ物を捧げることで、主なる神を賛美することが待ちきれない様子でした。結果として、この教会は成長し、栄えています。すばらしい設備、元気なスタッフ、各種プログラムでぎっしり詰まったスケジュール……。それだけではなく、世界のさまざまな宣教活動や地域の貧しい人々を支援するなど、豊かな祝福にあずかっています。この教会の人々は、捧げることが神に対する礼拝であること、また、ビジョンと目的をもって捧げることの大切さを理解していました。

 ヘブライ語では、「仕事」と「礼拝」が、同じ一つの単語「アボダー」で表されます。ここから、主を礼拝することが、ビジョンをもつこと、それに対して何らかの行動を起こすことであると理解することができます。「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29:18)。ビジョンなくして主に仕えることは、義務的かつ重荷となり、熱意を失うことにつながります。

 私たちは、主に十一献金を捧げるよう教えられています。生きた信仰を保つ上で、果たして、この十一献金、そして捧げ物には、いったいどんな意味があるのでしょうか。

←1902年にトルコで製造された、“献金用杯”(銀製)。献金の管理を任された人々の名前が刻まれている。

◆十分の一の捧げ物
 捧げることについて、新旧約両方の聖書に、共通の事柄が載っています。

 主から頂いたものの十分の一をお捧げするということは、天の御国の経済法則であり、律法が始まる以前からすでに存在していました。

「『あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。』 アブラムはすべての物の十分の一を彼(メルキゼデク)に与えた。」(創世14:20)

 神の律法は、十分の一を捧げる概念を繰り返し固く定めています。
「こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。……牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。」(レビ27:30、32)

 同時に、神は金銭面の捧げ物だけでなく、私たちに託されている才能、また霊的賜物からも、時に応じてお返ししていくことを求めておられます。

 
 
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