■パリサイ人の信仰
←イエスはパリサイ人を避けていたわけではなく、実際にはお互いに影響を与え合っていた。イエスの33年の公生涯の記録である福音書にはあらゆるタイプのパリサイ人が登場する。
◆神観
パリサイ人は神を、「あらゆる知恵と知識に満ち、完全に義なる方であり、あわれみに富む、無限のカをもった霊的存在」と見ていました。また、「神は、ご自分の示される道を歩み、正義を行い、親切を施し、愛することを人間に求めておられる。神は人に、善悪の選択をする力を授け、良い衝動と悪い衝動を併せ持つ存在として創造し、善を行うように勧告している。さらに、トーラー(律法)は、人間が、己に対する神のご計画を知る助けとして、ご自身が与えた道しるべである」と教えていました。(『エンサイクロペディア・ジュダイカ』13巻366項)
◆死者の復活と超自然
パリサイ人は死者の復活と永遠の命を信じ、またどちらかと言えば、詳細な天使や悪霊の階級組織の存在を信じていました。さらに、彼らはイスラエルを回復するメシアの来臨を期待していました。ローマによる邪悪な政治制度が消え去り、栄光に満ちた正義の王国が、新しく据えられる日を待ち望んでいました。そして自分たちが熱心に律法を守ることが、メシアの到来の助けとなることを信じていました。
→礼拝者が通常サイズの聖句箱を着けて神殿で祈りを捧げることは、とりわけこれ見よがしな行為ではなかった。
◆自由意志と神の審判
人間の意志については、自由意志も神の主権も、どちらかがどちらかを上回ることは不可能であるという中庸の立場をとっていました。歴史家ヨセフスは「彼らは、あらゆることは神の摂理によってもたらされると仮定しつつ、それでも何事かを遂行しようとする人間の意思は、神によって奪われず、人間に決定権が委ねられていると考えている」と言っています(『ユダヤ古代史』第8巻i3)。世のすべての物事は、神によって定められているが、人には善か愚かのどちらかを選択する自由(責任)が与えられていると信じていました。人間の行動に対する責任については、復活した後、それまでの行いに従って報いが与えられるという、神の審判に関する教理を生み出しました。
◆人道的見地
パリサイ人は、人間は平等であるという考え方を支持し、民主主義を擁護しました。貴族階級による政治支配に批判的であったことが、パリサイ派が民衆の人気を集めた主な理由で、彼らをサドカイ派の対抗勢力としてのし上げる結果となりました。彼らは虐げられた人々の立場に立ってみことばを解釈し、祭司階級に限らず、一般市民でも正しい生活を送ることができるという、大きな希望を民衆に与えました。また、寛容さを尊重し、平和を愛する人々でした。使徒行伝5章17節から41節を読んでみてください。使徒たちが最高議会(サンヘドリン)で殺されそうになった時、ガマリエル(パリサイ派)が寛容な態度を示し、彼の説得より使徒たちが釈放されたのです。パリサイ人の教えは、神学よりもむしろ道徳倫理に重点が置かれていました。例えば彼らは、単にみことばを学び論じるだけでなく、それを「行う」ことにより関心を示していたのです。
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