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マリヤとマルタのことを覚えていますか。神のためにただ忙しくすることと、神の臨在の中にいることとは違うのです。神のために忙しく働くことは大事なことですが、それは親しさとは違います。そしてその親しさは、私たちが神の臨在の中で神の足元に座るときにのみもたらされるのです。
ヤコブは言いました。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4:7)
しかしその前に、「ですから、神に従いなさい。」とあります。またその後には「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(ヤコブ4:8)とあります。神の臨在の中でこそ、私たちは神の御腕にとどまり、安全でいられるのです。
霊の戦いは必要であり、大切なものです。しかし、あまりにも多くのクリスチャンが悪魔を追い払うために多くの時間を費やしています。私たちは、主によって多くの栄光を捧げる必要があります。神にもっと近づく必要があり、至聖所に入っていく必要があるのです。そこには、サタンや悪霊たちが入っていくことのできない神の臨在があります。そして、そこには神の臨在の天蓋で守られた安全な場所があるのです。
◆絶えず御顔を慕い求めよ
詩篇42篇1、2節にはこうあります。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。」
先日、エン・ゲディの泉の近くから死海の岩場を見晴らすために、家族とともに岩登りをしていました。海抜300mほどの乾いた岩場にぶら下がると、アイベックス(山ヤギ)が私たちと同じ見晴らしを楽しんでいるが見えました。焼けつくような砂漠の真ん中で、アイベックスが、泉の心地よく冷たい水を慕い求めていることは容易に想像できます。目的地までの岩場は容易な道ではありません。しかし、その旅路を行くことは価値あることです。
私たちもそれほどに神の臨在に近づくことに熱心でありたいものです。ときにはその道は容易ではありませんが、それはいつも価値あることなのです。詩篇105篇4節にはこうあります。「絶えず御顔を慕い求めよ。」また、詩篇16篇11節には、「あなたの御前には喜びが満ち」とあります。本当の満たしがあるのは、ただ主の臨在の中だけです。なぜなら、神はご自身が創造されたものとの交わりと親しさを喜ばれる、私たちの創造者だからです。
最近作られた新しい賛美があります。それはこのように宣言しています。「私の神、主よ。あなたの臨在の中で私は強められる。あなたの臨在、それは私が属するところ。あなたの御顔を求め、あなたの恵みに触れる。神よ、岩の裂け目、あなたの臨在の中で。」
この宣言に対して「アーメン!」と私は言います。「絶えず御顔を慕い求めよ。」(詩篇105:4)
エルサレムよりシャロ-ム |