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 ドゥワイト氏は、「クリスャンは、聖書のテーマの一つである罪と贖いの領域にしばしばとどまっている」と指摘しています。しかし罪が存在する以前、そこには契約と祝福がありました。罪はその祝福を妨げました。私たちは罪と贖いを経験したのちも、また一段高いレベルヘと進む必要があります。なぜなら神は私たちを、ただ罪から自由にするためだけに贖なわれたのではないからです。神は、私たちが神との親しい交わりを持ち、顔と顔とを合わせて神を知るように私たちを創造されたのです。主の臨在に浴するためには、聖書のもうひとつのテーマである「契約と祝福」を受けることができる段階へと進む必要があります。

◆罪と聖さは共存できない
 聖書には、ご自身の民とともにいることを神はどれほど願っておられるかということが全体をとおして書かれています。神は、全世界にむけて「贖い」という水を注ぐための「水路」となるようにとイスラエルを選ばれました。また、神はご自身の民との交わりを求め、そのただなかに住むことを願われ、イスラエルを選ばれたのです。出エジプトの際、砂漠の中で昼は雲の柱によって、また夜は火の柱によって、神は常にイスラエルのすべての民とともにおられました。さらにまた、敵も神の臨在を見ることができたので、このことが民を守り、彼らに平安を与えることになったのです。

 しかしこの神の現れには、それ以上の理由がありました。出エジプト記の中で、会見の幕屋について神はモーセに語っておられます。神は、なぜイスラエルの民をエジプトから連れ出されたかをモーセに語られました。「その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。……わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。(出エジプト29:42b、43、45-46)

 このみことばの最後の箇所で、神が彼らをエジプトから連れ出された理由として、「彼らの神、主であるためであり、彼らの間に住むためである」と言われたことは非常に重要なことです。神は私たちとの交わりを求めておられるのです。

 私たちの内に住むことを神ご自身が願っておられるとは、なんと驚くべきことでしょう。神の霊は、私たちに命を与える神の息です。神の霊は、私たちを神に近づける神の臨在です。「ペンテコステ」の出来事では、ちょうどイスラエルの民の場合と同じように、聖霊が弟子たちの上に、“火の舌”のような目に見える形で、彼らの頭の上に現れました(使徒2:1-4)。

 “シェキナー”という言葉がありますが、これはヘブル語の“住む”“とどまる”という言葉から来ています。聖書の中では使われていませんが、「神が私たちの間に住まわれる」という神の臨在を言い表すために、ラビたちによって作られた言葉です。それは神の臨在を人格化した表現で、通常、驚くべき神の栄光と威厳を言い表すために使われます。

 聖なる神と親しい交わりをもつために、私たちは聖なる民でなければならない、とドゥワイト氏は言います。罪と不従順は、神との契約を破棄する要因とはなりませんが、私たちを神の臨在から遠ざけるのです。私たちクリスチャンも、聖書のイスラエルの民のように、神との関係において気まぐれであるかもしれませんが、彼らがそうであったように、それによって契約が破られることはありません。なぜなら神は忠実な方で、気まぐれな方ではないからです。

 
 
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