顔つきは、私たちがどのような者であるかということに関係し、私たちの感情、ムード、性質など、内面で起こっていることを反映します。箴言には「心に喜びがあれば顔色を良くする。」(15:13)とあり、創世記には「カインはひどく怒り、顔を伏せた。」(4:5)とあります。
顔(表情)によって、その人の心に何が起こっているかがよくわかります。幸せなときにはその人の顔は輝き、悪いことをしたときにはこわばった表情になります。カッとなったり、怒りを表した顔もあれば、悪巧みのない内面の無垢な心を表す優しい顔もあります。「あなたの顔を上げることができ」(ヨブ11:15)という聖書のみことばは、隠し事がなく恥や悪巧みのないことを示しています。
◆御顔を隠されない神
一方、聖書は“顔を隠す”ことについても語っています。それは恥によるものであったり(罪人の場合)、嫌悪感からであったり(罪の存在に耐えられない神の場合)しますが、だれかに背を向けることを意味します。自分の罪が神を遠ざけていることを知った詩篇の記者はこう言っています。「どうか、御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを、怒って、押しのけないでください。」(詩篇27:9)
また、圧制者から苦しめられている詩篇の記者は、神の助けを懇願しながらこう言いました。「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」(詩篇13:1)
さらに詩篇10篇11節では、貧しく愚かな者を虐げる悪者たちは「神は自分たちのことを見てはいない」と思っていると書かれています。「彼は心の中で言う。『神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。』」(詩篇10:11)。主イエスがエルサレムヘ行こうとして「御顔をまっすぐ向けられ」たとき、その決意は明らかでした(ルカ9:51)。また、神が人々から御顔を背けられるとき、災いが来るのは確かなことでした(エレミヤ44:11)。
また、“顔を上げる”という表現がありますが、これは見上げることです。神はしばしば「顔を上げなさい。下を向いてはいけません。まっすぐに私を見なさい」と言われます。ヨブに対して神は言われました。「今、起き上がって私を見なさい。あなたはわたしをののしってきました。あなたはわたしと話すことを避けてきました。さあ、今、わたしと話しなさい。わたしを見なさい」と。神はヨブの何を見たかったのでしょうか。私たちの内面で何が起こっているかを知るために、一人ひとりの顔を見るようにしてヨブの顔を見たかったのです。
神は、私たちが「神の御心を誤って理解しないこと」、また「神の心の中をまっすぐに見ること」を願われました。それゆえに、神は私たちに“御顔”を表す決心をされたのです。神はその御顔を、そして神の御心の深みとその思いを、私たちから“隠されない”のです。
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