←15世紀、「ユダヤ人は人間の姿を保つために、クリスチャンの血を飲まなければならないのだ」と教会が教えた。架空のクリスチャンの少年からユダヤ人が血を絞り取っているという虚図。
4:ユダヤ人は、「先祖たちのゆえに」(ローマ11:28)愛されている民族です。彼らに神の愛を示すよう、私たちは召し出されました。なぜなら、彼らがいなければ、異邦人は神のみことばも、ユダヤ人からお生まれくださった救い主も頂くことはできませんでした。私たちは彼らに、神のあわれみを示すように召されているのです(ローマ11:31)。ユダヤ人とイスラエルのために、「祈りなさい」と聖書は命じています(詩篇122:6)。また、物質的援助についても言及されています(ローマ15:27)。そして、彼らを守るために、城壁の上の見張り人とならなければなりません(イザヤ62:6-7)。さらに、私たちはシオンを建て上げるために、彼らのアリヤー(イスラエルへの帰還)を祈り、支援する必要があるのです。(イザヤ60:9-11、エレミヤ16:14-16、イザヤ40::22-23)
5:ローマ11章によれば、私たちは「イスラエルヘの契約」という同じ木に接がれ、神の聖なる樹液を頂いています。私たちが木を支えているのではなく、木が私たちを支えているのです。ですから、神の契約の民であるユダヤ人に対して、威張ったり、高圧的に振る舞ったりすることはできません。(ローマ11:17-18)
◆教会がイスラエルに取って代わると、何が起こるのか?
1:傲慢で自己中心的になります。
2:ユダヤ人とイスラエルに対して高圧的になります。
3:イスラエルの役割を軽んじるようになり、その役割を全く認めなくなります。
4:これらの結果、言葉や行ないが反ユダヤ主義的になります。
5:今日あるイスラエルとユダヤ人を無視して、聖書の預言を説明することはできません。特に現在イスラエルで成就されている事柄は、彼らの存在なしに理解することは不可能です。
6:ユダヤ人が教会に置き換えられたという解釈では、新約聖書の多くの節が意味を成さなくなります。
7:旧約聖書の重要性を失う可能性があります。多くのクリスチャンが、「自分たちは使徒行伝にあるような、新約のクリスチャンである」あるいは、「新約教会だ」と言います。しかし、初代教会の聖書は、新約聖書ではありませんでした。新約は4世紀になるまで成文化されず、イエスの時代には旧約聖書が用いられていたのです。
8:ヘブライ的・ユダヤ的解釈を失ってしまいます(聖書が書かれた背景や、聖書の行間に詰まっている文化背景を知るとき、さらにイエスヘの理解が深まり、より良い弟子となることができます)。
9:教会やイスラエル、そして全世界に対する預言の成就に参加する機会を逃してしまいます。
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