4:新約聖書には、イスラエルに関する言及が77カ所ありますが、それを単純に「教会」と置き換えて読むなら、文脈が意味を成さなくなってしまいます。例えばローマ書10章1節「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。」この中の「彼ら=イスラエル」を「教会」に置き換えてみてください。教会はすでに救われた信者の集まりであるにもかかわらず、どうしてパウロが、教会が救われるようにと祈る必要があるのでしょうか。
5:神はアブラハムにカナンの地(イスラエル)を与えると約束されました。詩篇105篇では、この約束が七重に確認されています。これは創世記12章1から3節と同じく、永遠に効力をもつ約束です。
6:イスラエルとユダヤ人への神の約束は、「太陽が昼間を照らし、月と星が夜空を照らすごとくに確かである」(エレミヤ31:35-37)と書かれているほどに、永続的なものです。
7:ユダヤ人が世界各国からイスラエルに戻り、イスラエル国が回復されるという預言、さらに終末に関する数々の預言が、過去120年間の間に、現実に見える形で成就しています。(イザヤ11:11-12、エゼキエル37:1-14、エゼキエル36章、エゼキエル35:1、イザヤ43:5-6、エレミヤ16:14-16、イザヤ60:9-11、イザヤ
49:22-23)
8:福音はまずユダヤ人に、それからギリシャ人にも与えられました(ローマ2:9-10、マタイ10:5-7、15:24)。この2つの間には、はっきりとした区別が存在します。ガラテヤ書3章28節、「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、1つだからです。」ここでは、神の御前ではだれもが罪人であり、十字架の贖いと神の恵のゆえに救われ、皆が平等であると書かれています。平等であるという土台の上に、例えば男性と女性、父親と母親、夫と妻……という、はっきりとした区別があるように、ユダヤ人と異邦人にもそれぞれ異なる役割分担が与えられているのです。
◆教会の役割は何でしょう?
1:「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)。ユダヤ人であったペテロが、異邦人伝道への啓示を受けたことが、教会のスタートとなりました。エペソ書1章11から14節には、イスラエルとユダヤ人は選ばれしものであり、私たち異邦人はそこに加えられたものであると書かれています。
2:教会はイスラエルへの約束に加えられたのであり、彼らへの契約、約束、望みを分けていただける立場とされたのであって、彼らを押しのけてその位置につくために召されたのではありません。私たちは「接ぎ木され」(ローマ11:17)、「近い者とされ」(エペソ2:13)、信仰によりアブラハムの子孫とされ(ローマ4:16)、キリストによって養子縁組された「アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(ガラテヤ3:29)。私たちは彼らから「もらいものをしたのです。」(ローマ15:27)
3:教会は全世界に出て行って福音を述べ伝え、あらゆる国民を弟子とし(マタイ28:19-20)、主なる神を、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、愛し、隣人を自分自身のように愛す(マルコ12:30-31)ように召し出されました。
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