紀元321年、コンスタンティヌスは、土着宗教の名残で、太陽に敬意を表す日であった日曜日に、「すべての仕事を休まなければならない」という勅令を出しました。つまり、クリスチャンの礼拝日を土曜日から日曜日に変えることで、分裂の溝をさらに広げたのです。ユダヤ教の安息日である土曜を聖なる日とするか、日曜とするかの論争は、紀元325年のニカイア公会議(世界規模でリーダーたちを集めた、最初の本格的な教会会議)でも取り上げられ、そこで日曜日をクリスチャンの聖日とするという結論が下されました。しかし、その後も長期間論争は続きました。
キリスト教は一夜にして帝国国家における権威を得、皇帝たちは、ユダヤ人とユダヤ教徒を攻撃する、キリスト教神学者の考えや主張を行動に移していきました。
◆教父たちの遺産
教会教父たちによって書かれてきた文章の論調が、321年以降、一変しました。もう決して自らを守るための防衛的、弁解じみた表現は使われず、「群の外」のすべての人々、特に、当時あらゆる国の町々に住んでいたユダヤ人に向かって、攻撃的な内容をつづるようになっていきました。教会指導者たちによって書かれたこの時代の文書には、反ユダヤ主義的偏見を帯びたものがより多く見られます。いくつかの例を挙げましょう。
- フランスの聖ヒラリウス(291-371)―「ユダヤ人は神から永久に呪われた、根性の曲がった人々だ。」
- カパドキア司教、ニッサのグレゴリウス(394年没)―「ユダヤ人はマムシの血を引き、善を憎む……。」
- 聖ヒエロニムス(347-407)―「……ユダの皮を被った狡猾な蛇で、彼らの朗唱と祈りは、まるでロバのいななきだ。」
4世紀の終わりにアンテオケの司教を務め、大雄弁家で黄金の舌を持つと言われた、ヨハネ・クリソストムは、ユダヤ人を攻撃する内容の、8回にわたる連続説教を書きました。ユダヤ人と会話し、ユダヤ教の聖櫃の前で誓いを立て、ユダヤ人の祭りを祝うクリスチャンを目撃した彼は、これを何とかやめさせたいと考えたのです。「真の信仰」に人々を呼び戻そうと努めた結果、ユダヤ人に完全に罪を着せる内容の説教が出来上がりました。そのいくつかを引用してみましょう。「シナゴーグは売春宿で芝居小屋であるばかりか、盗人の巣窟、野獣の棲み家である。神をあがめるユダヤ人などいない……。ユダヤ人は殺人常習者で、悪魔につかれており、その放蕩と飲酒は豚の振舞い。彼らは互いに殺し合い、不具にし合う……。」
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