ユダヤ人に対する敵対心は、その頃の教父たちが残した文章の中に現れています。例えば、殉教者ユスティニアヌス(紀元160年頃)は、あるユダヤ人に対して「聖書は君たちのものではない。われわれのものだ」と言っています。リヨンの司教イレニウス(紀元177年頃)は「ユダヤ人は神の恵みの相続権を失っている」と言明しました。テルトゥリアーヌス(紀元160-230年)は、論文『ユダヤ人と戦う』の中で、「神はクリスチャンを選び、ユダヤ人は拒絶された」と声高に宣言しました。
4世紀初頭、エウセビウスは「旧約聖書に書かれているすべての祝福は、クリスチャンのものであってユダヤ人のものではない。しかしそこに書かれている呪いはすべてユダヤ人のものだ」と書きました。彼は、教会こそが旧約聖書の相続者であり、排除されたユダヤ教に取って代わったものだと論じました。若い教会は自らを、「神の約束の相続人である『真のイスラエル』、あるいは『霊的イスラエル』だ」と宣言しました。彼らにとって、肉のイスラエルを切り捨てることこそ、「神に見捨てられたイスラエルの代わりに、自分たちが神の愛の対象になった」と証明するための、基本原則だったのです。
◆ローマ国教化の影響
紀元306年、ローマ帝国最初の皇帝―コンスタンティヌスがキリスト教に改宗したことで、教会が勝利者として上位に立つ歴史的変化が起こりました。当初、コンスタンティヌス帝は、それまでの柔軟な姿勢を保持し、ユダヤ人にもクリスチャンと同じ宗教的権利を与えていました。しかし、紀元321年、キリスト教をローマ帝国の正式な国教に定めると、他の宗教は排除しました。この時点からクリスチャンヘの迫害が終わり、ユダヤ人への差別と迫害が始まったのです。
スペインのエルビラにおける305年の教会会議では、ユダヤ人とクリスチャンの分離がすでに宣言されていました。その中には、「クリスチャンはユダヤ人と食事をともにしてはいけない」「ユダヤ人と結婚してはいけない」「ユダヤ人に畑を祝福してもらってはいけない」「ユダヤ人の安息日を守ってはならない」などの命令が含まれていました。
紀元313年、ローマ帝国はキリスト教を認め、ユダヤ教そしてシナゴーグを追放する「ミラノ勅令」を布告しました。次いで315年、法律を破って捕えられたユダヤ人の火刑を許可する新たな勅令が出されました。そして、キリスト教が国教として定着するにつれ、ユダヤ人を取り締まるための法律がさらに厳しく定められていきました。・古代からユダヤ人に認められてきた特権の撤回。
- ラビによる裁判権の撤廃、もしくは著しい縮小。
- ユダヤ教への改宗の禁止。違反者は死罪。
- 公職や軍の要職からのユダヤ人排除。
以後千年間、数多くの同じような制限が、さまざまな教会会議で繰り返し決議され続けました。
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