ユダヤ教とキリスト教の分離は、宗教的、社会的違いの結果として始まりました。デービッド・ラウシュの著書『憎悪の遺産』では、当時この分離をもたらした幾つかの要因を取り上げています。
- ローマ帝国の侵入と、異邦人社会にキリスト教が広く浸透したことで、ユダヤ人クリスチャンたちの歴史が複雑化した。
- ユダヤとローマの戦争は、エルサレムと神殿を破壊しただけでなく、キリスト教における地位を失わせるという結果をもたらした。
- キリスト教が異邦人世界で急速に受け入れられたことで、教会とシナゴーグの間に早くから争いが起こった。パウロの伝道によって、異邦人世界にキリスト教信仰がもたらされたが、その数が成長するにつれ、異邦人文化の影響が強まり、ついにはキリスト教をユダヤ的文化背景(ユダヤ・ルーツ)から切り離してしまった。
多くの異邦人クリスチャンは、神殿とエルサレムの崩壊について、神がユダヤ教徒を見捨てたしるしと解釈し、「主が自分たちをエルサレムの影響から自由にし、異邦人独自のキリト教神学を発展させる自由を与えられた。今はエルサレムの神殿にではなく、聖霊が私たちの内側におられるので、神殿礼拝は不要となった」と考えました。
第2次ユダヤ戦争(紀元133-135年)が、ローマ皇帝ハドリアヌスに鎮圧された後、教会の神学的・政治的指導力の中枢が、ユダヤ人の教会指導者たちから、アレクサンドリアやローマ、アンテオケなど、異邦人教会の指導者に移行していきました。この変化を理解することは重要です。なぜならこの結果、キリスト教がそのユダヤ・ルーツから分離し始め、初代教会の教父たちが、反ユダヤ的発言をするようになったからです。
教会がローマ帝国全域に広く普及し、異邦人会員の数が増すにつれ、ギリシャやローマの思想が浸透し始め、聖書解釈も、ユダヤ、ヘブライ的理解より、ギリシャ的考え方で理解されるようになりました。その結果、後に多くの異端教義が生み出されました。そのいくつかは今日まで生き残っています。
◆広がり続ける溝
一度キリスト教とユダヤ教が別々の道を歩み始めると、隔ての溝はどんどん広がっていきました。当初、ユダヤ教はローマの公認でしたが、新興宗教であったキリスト教は非公認でした。ローマは、キリスト教が盛んになるにつれ、脅威を感じ、これを阻止しようと厳しく迫害しました。迫害を緩和する目的で、クリスチャンは「自分たちユダヤ教の一派だ」と主張しましたが、ローマは納得しませんでした。そして、打ち続く迫害によって高まった不満が、当時まだ迫害もなく自由に礼拝を守っていたユダヤ教徒への憎しみにと変わっていきました。後に、教会がローマ帝国の国教となったとき、この憎悪によって、ユダヤ人に報復する内容の法律がいくつも作られました。 |