悲しいことに、熱心党員はこのメッセージをしっかりと受け取ることができず、イエスが去られた後も考えを変えようとはしませんでした。彼らのローマヘの抵抗運動は、暴力と憎しみに動機付けられていました。だからこそ、彼らがエルサレムを掌握したとき、同胞の殺し合いに走ることになったのです。事実、彼らがエルサレムを抑えて最初にしたことは、ヘロデに任命された大祭司たちとその家族全員、そして神殿のサドカイ派祭司たちを皆殺しにすることでした。また、債務不履行の罪で監獄に捕われていた囚人たちを解放し、借金の記録をすべて火で焼き払いました。
貧しい人々は皆、すぐさま熱心党の側につきました。しかしローマがイスラエルをあきらめるはずがありませんでした。紀元67年から70年にかけて、ローマでは皇帝が3度変わる政変があったため、帝国が混乱していました。この間、ユダヤ人が同士討ちする姿を横目で見ながら、ローマ軍は機会をうかがっていました。「同士討ちに終止符を打つために、神はローマ軍にエルサレムを破壊させたのだ」と、あるラビが言ったほど、当時の熱心党内の仲間割れはひどいものでした。
←紀元70年のエルサレム破壊時に亡くなった人の腕の骨。
◆「憎しみ」対「愛」
熱心党員はローマを盲目的に憎みました。彼らは、戦う相手は知っていましたが、「何のために戦うのか」ということを見失っていました。反乱と革命は異なるものです。こういう言葉があります。「獣を倒すために自分が獣になるなら、獣の勝利だ。」憎しみをもって憎い敵を倒しても、最終的に残るのは憎しみだけです。
今日のパレスチナによるイスラエルヘのインティファーダ(武装蜂起)にも、同じ部分があります。パレスチナ系アラブ人は、自分たちが戦っている相手が誰かを知っていますが、それが何のためであるのか見失っています。パレスチナ陣営にも、憎しみ、汚職、党派心、派閥根性、そして狂信主義があり、グループの権力闘争が後を絶ちません。結局は、イスラエル、パレスチナ双方の誰もが傷ついています。
一方アメリカにも、あまりにも強硬に堕胎に反対するあまり、人工中絶をする病院の看板を壊し、「医者の殺害さえ辞さない」というグループがあります。熱心党と同じく、彼らが堕胎に反対すること自体は正しいのですが、イエスは、堕胎にかかわる病院の破壊や医師を殺害することには、断固として反対されるでしょう。愛ではなく、憎しみによって動機付けられた行動は、主の教えに反することです。棕櫚の日曜日に、イエスはエルサレムを見て、預言者の言葉を引用されました。「わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(マタイ23:37)またルカ伝21章24節ではこう言われています。「エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」イエスはやがて来る戦争を思い、泣き悲しんでいたのです。
エルサレムの発掘で、紀元70年当時の陶器や、「イスラエル回復の第4年」と書かれた熱心党のコインが発掘されています。熱心党は反乱が始まった紀元66年から、これらのコインの鋳造を始めました。エルサレムで発見された最後のコインは、回復4年目の紀元70年のものでした。ある家の遺跡からは、壁に立てかけられた槍と、ローマとの戦いで切断された人間の腕が、戸口の床上に発見されました。
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