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 最後の決戦はマサダで戦われました。マサダはヘブライ語で「とりで」あるいは「要塞」という意味があります。死海沿岸に立つ、平らな頂上を持つこの天然の岩山には、ヘロデ大王が緊急事態に備えて建てた「要塞宮殿」がありました。エルサレムから避難してきた熱心党員がここを占拠し、ヘロデが蓄えた物資をそのまま使って立てこもりました。


←マサダの台地とローマ軍が作った攻撃用斜堤。

 また、エルサレム陥落後、エジプトヘ逃げた熱心党員もいました。彼らはそこでエジプト在住のユダヤ人たちに反乱を持ちかけましたが失敗しました。彼らは逮捕され、拷問にかけられて、ローマ皇帝を主と認めるよう迫られました。ヨセフスは『ユダヤ戦記』の中で、彼らが驚くべき我慢強さで堪え忍び、イスラエルの主なる神を誉めたたえて死んでいったと証言しています。

  紀元73年、熱心党は事実上壊滅しましたが、後の紀元132〜135年の第2次ユダヤ人反乱(バル・コホバの乱)へと、その精神は脈々と受け継がれていきました。

◆私たちとの関係
 熱心党に対するイエスの態度はどのようなものだったでしょう。当時、大衆に広く行き渡っていたこのグループの思想について、なぜもっと明らかに触れられた箇所がないのでしょうか。

 ナザレの会堂における公開説教では、イザヤが『ヨベルの年』を宣言している聖書箇所がまず開かれました。ヨベルの年には、いったい何が起こるのでしょうか。この年、すべての奴隷に自由が与えられました。イエスは、この会堂において預言者として語られました。「目の見えない人に光が与えられ、足の悪い人は歩けるようになり、束縛されている人は解放されるだろう」と言われました。もしこの「自由」「解放」という預言的ビジョンが、熱心党員が求めていたものと同じであったなら、なぜイエスは熱心党をもっと支持されなかったのでしょう。


→「イスラエル解放の4年目」と記された、紀元70年に鋳造された熱心党のコイン。

 肉の力に頼り、暴力でその思想を強制的に押し付ける熱心党のやり方を、イエスが認めていなかったことは明らかです。これはイエスのメッセージと正反対のものでした。パート1でも述べましたように、イエスはご自分の王国がこの世のものではないこと、だから私たちは地上の権威には従うべきであることを教えられました。そして、神を全力で愛し、隣人を自分自身のように愛することが、私たちに与えられている最も重要な使命であると、はっきり教えておられます。神のために生き、愛をとおして主の王国を打ち立てていくことこそ、イエスの示された道です。 それは、自分たちの考えを強引に押し付けることではありません。パート1をお読みになれば、イエスは熱心党の主義主張とは対照的な生き方を示されたことがわかります。例えば「カイザルのものはカイザルに」と税金を支払うことを教えられました。

 

 
 
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