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←ヘロデ大王によって建てられた神殿は、彫刻を施した石灰岩と黄金の装飾で覆われていた

 結果として神殿は、入り口の敷石や中庭を囲んでいた柱廊の一部など、人工物以外跡形もなく破壊されました。今日あるイスラム教の「岩のドーム」の中には、当時の礎石が残っています。しかしイエスが「石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」(マルコ13:2)と言われたことが、文字どおり成就したのです。これは、ローマ人が敷石の間に溶け込んだ黄金を残らず引きはがして回収するために、徹底的に破壊したせいでもあります。ヨセフスは「紀元70年に黄金と奴隷の値段が底値まで下落した」と記しています。奴隷も黄金も、あふれんばかりの数で満ちていたからです。

 エルサレムの神殿破壊を祝うために建てられたローマのティトス凱旋門には、神殿から器物を持ち出すローマ兵の姿が刻まれました。


→神殿の家具を運び去るローマ人たち(ローマ・ティトスの凱旋門より)

 また、ローマによってユダヤ人国家主義を倒したことを示す、『ユデア・キャプタ(虜となったユダ)』と書かれた記念コインが発行されました。この記念コインには、何の図柄が描かれていたと思いますか。その中央には棕櫚の木(ユダヤ国家主義の象徴)が、一方に棕櫚に背中を当てて頭をうなだれている女性(敗北したユダヤ人とユダヤ国家)が、その反対側には力と勝利を誇示してひときわ大きく立つローマ兵が描かれていました。


←「ユデア・キャプタ」と記された、紀元70年鋳造のローマのコインとマサダの熱心党員が使った皮製サンダル。

◆マサダ−最後の戦い
 神殿崩壊後、少数の熱心党員が、エルサレムと死海の間にあるユダの荒野の洞窟や峡谷へ逃げ込みました。考古学者たちはそれらの洞窟を発掘して、彼らが持ち込んだ武器、かごやサンダル、宗教的器物やたくさんの巻物、書簡などを見つけました。ユダの荒野は大変乾燥しているので、これらの遺物は非常に良い状態で保存されていました。南北に長いユダの荒野の東側は、数百メートル低い死海へと落ち込む深い絶壁となっていて、その崖にはたくさんの洞窟があり、熱心党員はそこへ逃げ込みました。反乱が続く間、ローマ兵はこの崖の頂上からロープで兵隊を入れたかごを吊り下げ、洞穴に向って火矢を射掛けました。ローマ人はユダヤ人が独立しようとする企てに、最終決着をつけようとしていました。

 
 
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