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 紀元67年、ローマ軍がゴラン高原のガムラ(ガリラヤ湖東岸)へ進駐し、熱心党員に対する1カ月にも及ぶ激しい包囲攻撃を繰り広げました。このとき、5000人ものユダヤ人が、“ローマに屈するよりは死を選ぶ”と、周りの峡谷で飛び降り自殺をしました。これは、この数年後に起こるマサダでの最終決戦で、集団自決を遂げた人々の5倍の人数にあたります。そのため、ガムラは別名「北のマサダ」と呼ばれました。


←ガムラの古代の家々。

 ガムラには興味深い側面があります。ローマの騎馬軍が町へ突撃したときのことです。あまりにも急な斜面に町が建てられていたために、騎馬兵が猛然と進撃していくと、段々に隣り合って建てられていた家並みが、折り重なるように崩れました。ガムラは以後1度も再建されなかったので、この67年の戦いが終わった当時のままに遺跡が残りました。そのため、考古学者がすばらしい発掘成果を上げています。

◆エルサレム陥落
 ガムラで生き残ったガリラヤの熱心党員たちは、ユダヤとエルサレムヘ逃亡しました。しかし、エルサレムの熱心党には内輪もめをしている派閥が多くあり、エルサレムではユダヤ人同士が互いに戦って殺し合いをしました。ちょうどレバノンで起こった内戦のように、それぞれの分隊に反目しあう指揮官がいて戦い合ったのです。


→神殿の丘南西部隅より発見されたヘブライ語の碑文。「トランペット吹きの場所に属する」とある。

 ガリラヤの一地方、ガシュ・ハラヴ出身の指揮官ヨハネは、エルサレムの神殿の中庭の一角にある、ラッパを吹奏する地点に自分の指令室を置きました。神殿の丘の南西角周辺を発掘したとき、考古学者はすばらしいものを発見しました。それは「トランペットを吹奏するための場所」というヘブル文字が刻まれた横長の大きな石でした。つまり、祭司がエルサレムの市中に向かってトランペットを吹き鳴らし、また熱心党指揮官の1人が指令所を置いた、ちょうどその地点を発見したのです。そこはエルサレムで最も高い地点で、指揮官が部下たちを指揮するのに大変適した場所でした。

 紀元70年、アヴ(8月)の月の9日、ローマ軍はついにエルサレムを制圧し、神殿に火を放ちました。

 石の建造物をどうやって焼くことができたのでしょうか。神殿は水分を含んだエルサレム・ストーンという石灰岩でできていました。破壊するには、ただ神殿の周りに可燃物を持ってきて火を放てばよかったのです。中に含まれる水分が水蒸気になって膨張し、石が爆発するからです。ヨセフスは神殿が燃やされたときの爆音について記しています。さく裂した石の破片によって多くの人々が殺されました。神殿の頭頂部には、ボウリング球大の黄金製のブドウの房が飾られていましたが、熱で溶けて神殿の礎石の割れ目に流れ込みました。

 
 
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