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もし、ペテロが最初から、何の問題もなく異邦人と交わるような考えを持った人物であったのなら、使徒行伝10章の出来事は何の意味もなさなかったでしょう。この箇所には、ローマ人の百人隊長・コルネリオが、ペテロに使いを送ったことが書かれています。コルネリオの使者は、宗教的なユダヤ人の家に足を踏み入れてはいけないと知っていたので、門の外から呼びかけています。そして屋根から下りたペテロが何と言ったでしょう。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。」 このような背景から、弟子たちはどんな異邦人の町にも行ったことがありませんでした。
◆第三の教義・「奴隷反対」
熱心党員たちは、「神にのみ仕えよ」と聖書を解釈していました。ですから、奴隷制度に断固反対でした。
墓石に刻まれた言葉などから、イエスの時代、ユダヤ人人口の15パーセントが奴隷であったことがわかっています。考古学者は、奴隷の首にかけられていた「私の名前は云々。私は誰々のもので、私を見つけたら連れ戻してください。そうすれば豪華なお礼を差し上げます」などと書かれた鉄かせを発見しています。
このことから、アルベル山やガムラに住んでいた人々の多くが、脱走者や逃亡奴隷であったと推測することができます。ある意味で、これらの人々は、純粋な社会を望む高い理想の持ち主だったとも言えますが、もう一方で、逃亡者や法を犯した罪人だったとも言えます。熱心党員とその指揮官たちは、さまざまな背景から集まった雑多な人々のグループだったのです。中には泥棒や強盗も混じっていました。
イエスの弟子には、逃亡奴隷や脱走者は一人もいませんでしたが、彼らが職業を離れ、イスラエル中を伝道して歩くのについて行ったことが書かれています。十二弟子たちは、ユダ以外は全員がガリラヤ人でした。イエスのメッセージは、しばしば当時の政府や宗教指導者たちの言葉とは相反するものでした。人々はイエスを、注目すべき新しい派閥の指導者だと考えていました。イエスに脅威を感じた当時の政府、そして宗教勢力は、他の自称「メシア」たちと同じように、イエスを始末し、彼の弟子たちを追い散らそうと企てました。
◆第四の教義・「服従よりは死」
熱心党員は、「死か奴隷か」の最悪の選択を迫られた場合、「奴隷になるよりは自らの命を絶つほうがましだ」と信じていました。ヨセフスの著作の中に、マサダに立てこもった熱心党員の司令官だったエリエゼル・ベン・ヤイールが、人々を説得して自害へと導いた演説が書かれています。「これは、われわれの律法で命じられていることだ」と彼は言っています。いったい聖書のどこに、「奴隷になるよりは自殺せよ」と書かれているでしょうか。もちろん、そのようなことは書かれていません。少なくとも、文字どおりの表現では。しかし、もし他の主人に奴隷として仕えることを偶像礼拝と解釈するなら、モーセの律法に「偶像礼拝の罰は死」とあります。多分これを根拠に、熱心党員は奴隷よりは死のほうが良いと思い込んだのでしょう。
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