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ローマ人の町・ジュリアスは、ヘロデ・ピリポによって地方の首都として建てられました。事実、ヘロデ・ピリポはジュリアスに住んでいました。ジュリアスにはローマのジュピター神の像がありました。そこは世俗的かつ異教の町で、福音書はジュリアスについて一度も触れていません。それは、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネ、そしてピリポも、たぶんそこへ一度も行ったことがなかったからです。そこは宗教的なユダヤ人が決して行かない場所でした。
シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネ、そしてピリポもおそらく、熱心党員と同じように、「世俗からの分離による救い」を信じた宗教的ユダヤ人だったのでしょう。彼らは異教徒だからということで、非ユダヤ人たちと交際しませんでした。ジュリアスヘ行くことなど、考えもしなかったでしょう。
ベツサイダは、ジュリアスに近かっただけでなく、ちょうどガムラの真下に位置していました。ベツサイダの上にそり立つ峡谷にある、熱心党の要塞です。シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネ、そしてピリポも、夜、寝床に就くと、上にガムラの明かりを見、ローマとの対戦に備えて鉄の武器を鍛えるカンカンという音も聞いていたのではないでしょうか。
イエスの弟子たちは、ベツサイダのシナゴーグで、「自己を俗世間から聖別し、卑しい者たちと付き合って妥協してはならない」という説教を、たぶん何度も聞いたでしょう。シナゴーグには、礼拝でラビが座って説教をする「モーセの座」がありました。イエスが「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。」(マタイ23:2)と言ったのを思い出してください。これは、彼らがシナゴーグで教える立場にあったことを意味します。ラビたちが座るときは、いつも、公式の説教がなされました。

←ジュリアスが平地にあった一方、ベツサイダは岸辺の木の中にあった。
イエスの時代、パリサイ人の中には、異邦人の影が身体にかかっただけで、ミクベー(ユダヤ教の清めの儀式のための浴槽)へ行って身を清めるよう教える人々がいました。彼らはそれほど異邦人嫌いで、反ローマ主義だったのです。イエスの弟子たちが育った背景も、おそらくこのようなものでした。
ガリラヤ湖周辺には、ガデラ、フィロテリア、センナブリス、ヒッポス、そしてジュリアスなどの大都市がありました。しかし、福音書ではこれらの町について一度も言及されていません。それは、これらが異邦人の町だったため、弟子たちや宗教的ユダヤ人に避けられていたからです。
ヨハネ6章23節で、人々がイエスの説教を聴くために「ティベリヤから数隻の小舟が来た」とあります。ガリラヤ湖で最大の町ティベリヤさえも、ここでたった一度言及されているだけです。これは典型的な「選民」と「異邦人」という区別意識です。弟子たちは異邦人と交わらず、異邦人の町へ足を踏み入れもしませんでした。後に、弟子たちの視野はぐんと開かれ、改宗者を求めて異邦人の町へ出ていくまでに変えられていきました。 |